おおさか東線
新大阪駅で降りた私は、2番のりばへと移動し、14時40分発、おおさか東線の普通列車、久宝寺行きに乗ります。
新大阪から途中の放出(はなてん)までの区間が今年3月に開業したばかりで、まだ未乗でしたから、せっかくの機会、乗りつぶしておこうということです。
車両は国鉄型の通勤電車で、さすがに車内はリニューアルされているものの、モーター音とかは国鉄時代のまま、走行中もガタガタ揺れるのも昭和時代を想起させ、とても平成最後に開業した路線とは思えない不思議さでした。
立ち客がいるほどの盛況ぶりで、これが途中の放出まで続きました。
新大阪駅を出発すると、東海道本線(JR京都線)の東淀川駅までは並走し、その先で高架に上がっていきます。
淀川橋梁には、鉄柱に錆が付いているほど古いですが、これはもともと手前で合流した城東貨物線が通っていたためです。
だから、一部区間は貨物線を旅客線に転用したことになります。
景色は住宅街ばかりで特段見るべきスポットはありませんが、需要は今後も見込めそうですね。
あまりスピードを出すこともなく進み、15時12分、終点の久宝寺駅に到着。
これで再びJR線を完乗しました。
ただ、昨年11月に都城駅で完乗した時とは違って、あまり達成感みたいな気持ちは起こらなかったですね。
お金が無いこともありますが、すっかり鉄道への情熱を失ってしまったのが大きいのでしょう。
ということで、さらに寄り道して他の路線に乗ることもなく、このまま妹夫婦が住んでいる所の最寄り駅まで移動しました。
夕食はお薦めの焼き肉を御馳走になり、久しぶりに味わった焼き肉に舌鼓を打ちました。(続く)
北陸本線、湖西線
大阪に住んでいる妹夫婦からLINEで、ぜひうちへ来ないかとのお誘いが。
ちょうど青春18きっぷ1回分が残っていたので、2つ返事で大阪へ行くことになりました。
金沢駅高架下の駅ナカで手土産の酒を買い、9時30分発、福井行きの普通列車に乗車です。
かつては米原から直江津まで結んでいた北陸本線も、2015年(平成27年)3月で金沢まで短縮させられてしまい、すっかり格落ちした感があります。
私の住む富山でも第三セクターの「あいの風とやま鉄道」という名に変わって、国鉄線らしい風格のある名前を失いました。
それでも、特急「しらさぎ」や「サンダーバード」が頻繁に走ることから、「特急街道」とも呼ばれ、ダイヤ面で国鉄時代の趣を残す数少ない路線を保っています。
もっとも、北陸新幹線が敦賀まで延伸されれば、それも失うのでしょうけど。
その歴史ある路線名の割に、景色は田んぼが広がる単調かつ退屈極まりないものばかりで、眠気を誘います。
まあ、さすが米どころですね。
小松駅で2本の特急列車との待ち合わせで、およそ15分停車。
あとは順調に進み、11時2分に福井駅着。
輸送人員の少ない区間だから、2両のワンマン列車かと思ったら、今乗ってきたのと同じ4両編成でした。
ただ、席が半分以上埋まっている状況を見ると、2両では立ち客が出ていたかもしれません。
武生を過ぎると、日野川に沿って山の奥へと進んでいきます。
南今庄を出発すると、全長13,870mの北陸トンネルへ突入。
このトンネルが開通するまでは、北陸本線は海側の方を通っていて、4か所のスイッチバック、最大25‰の勾配など厳しい条件だったという。
軟弱地盤による崖崩れや積雪にも悩まされ、そこを坂に弱い蒸気機関車で通っていたのですから、乗務員にとっても乗客にとっても命懸けだったらしいです。
それが今や最新型の電車でたったの10分で駆け抜けてしまうのですから、有難いことです。
12時4分、敦賀駅に到着です。
12時23分発、姫路行きの新快速列車です。
行き先を見ると、もうここは北陸ではなく、関西だと感じてしまいます。
今朝から同じ車両ばかりで飽きてしまいますが、座席は転換クロスシートと快適だし、これで新大阪まで行けるわけですから、もう少しの辛抱。
敦賀駅で買った駅弁「焼鯖寿し」。
若狭湾は鯖が有名で、「鯖街道」と言われる道があるほどですから。
身もシャリも固めだけど、さっぱりしていて食べやすかったです。
さて、列車は小浜線と別れると山の中へ。
大阪・米原方面はここで勾配をかせぐため、ループ線をとります。
半分以上がトンネルだけど、途中ほんの一瞬、写真のような敦賀の街を一望できる所があり、真下に小浜線の線路も見えます。
滋賀県に入り、近江塩津駅からは北陸本線と分かれて湖西線です。
いつも特急で通っていたため、新快速で通るのは初めてです。
相変わらず田んぼの風景が多いのですが、
琵琶湖が近くで見られるのも良いですね。
砂浜に穏やかな波が寄せているのを見ると、湖というよりは海だと錯覚してしまいそうです。
この列車は近江舞子から先はいくつかの駅を通過していきますが、特急は最高速度130kmとスピードを出すのに、新快速は大体100~110kmとあまり出さないというのは不思議です。
車両自体は最高速度130kmを出せるはずだし、現にJR京都線・神戸線の区間では最高速度で走っているのに、これには少々拍子抜けしました。
大津京を過ぎるとトンネルに入り、京都府の山科で東海道本線(JR琵琶湖線)と合流。
13時57分、京都駅です。
まだ国鉄型の103系車両があるんですね。
JR西日本には古い車両がまだまだ多く走っています。
京都駅を出ると、湖西線とは打って変わって、特急並みのスピードで走ります。
とにかく速く、住宅街や工場、ビル群がめくるめく過ぎ去っていきます。
14時23分、新大阪駅に到着。
ここで少し寄り道します。(続く)
飯山線
8月18日(日)。
前日の天気予報でお出かけ日和だそうで、それならあと2回分残っている青春18きっぷを消化すべく、時刻表を開いてどこへ行こうかなと思案していくうちに、長野県と新潟県を走る飯山線に目が留まる。
富山からなら北陸新幹線ですぐだし、幸いなことに、乗り換え時刻もなかなかよい。
在来線ホーム4番線に10時29分発、越後川口行きです。
列車は2両編成。
車内は2人がけと4人がけボックス席、そしてロングシートが混在したディーゼル車です。
空席がちらほら見られるほどの乗車率で、鉄道旅としてはこれぐらいがちょうどいいですね。
ところが、車内放送でこの列車は途中の戸狩野沢温泉駅にて後ろ1両を切り離すとのこと。
それでポツポツと前寄りの車両に移動してきた乗客もいました。
飯山線に乗るのは3回目です。
1回目はいつだったか忘れましたが、たぶん7,8年ぐらい前だったと思う。
ただ、時期は冬だというのははっきりしています。
この時、全線乗り通しました。
2回目は4年前の秋。
この時は友人に誘われて、観光列車「おいこっと」ツアーに参加しました。
長野駅から森宮野原駅まで行き、折り返して戸狩野沢温泉駅で下車し、野沢温泉に行きました。
そして、3回目ということで、また夏の景色は違って見えるはずですから、楽しみですね。
列車は長野駅を出発すると、右手にたくさんの車両が留置されているのが見え、長野総合車両センターです。
現在使われている車両だけでなく、古い車両を解体・廃車する作業も持っていることから、一部の鉄道マニアの間では「墓場」と言われています。
この日は中央本線で走っていた特急あずさ、かいじの車両が留置されていました。
まだ20年も経っていないので、リニューアルの上、特急踊り子に転用されるそうです。
他にも、オレンジと緑の国鉄型車両が残っていました。
長野県の特産品と言えば、やはりりんごですね。
りんご畑を見ながら列車はどんどん進みます。
続いて、田んぼ。
長野県産の米はあまり聞かないですが、意外と田んぼは多いです。
実は長野駅から豊野駅まではJRではなく、第三セクター路線であるしなの鉄道だったのです。
残念なことに、この区間は青春18きっぷの適用外で、別途250円払う必要があります。
第三セクター線を通らないとJR線に入れない箇所がいくつかあって、中には特例で18きっぷのまま通れる所もありますが、この区間はそうではありませんでした。
こうやってわざわざ別途料金を払わなければならないのは、第三セクター線の経営が影響しているにしても、どうも政治的な動きが背後にあるような気がしてならず、青春18きっぷ旅行をつまらなくさせているようにも思います。
そういうわけで、路線としての飯山線は豊野駅から越後川口駅までの96.7kmとなります。
実際の運用では豊野始発・終着はありませんが。
だんだんと山深くなってきました。
童謡「故郷」の情景が思い浮かぶほどの田舎(作詞した高野辰之は長野県中野市出身)ですが、その中でもひと際存在感のある千曲川は、のっぺりとして濁っています。
長野市街地を通っているわけですから、無理もありませんが。
再び開けて住宅街になり、ロードサイド店も目立つようになりました。
飯山市で、人口は2万人弱。
さらに飯山駅まで来ると立派な新幹線の駅がそびえ立っています。
この駅で多少の乗客の入れ替えがありました。
11時26分、戸狩野沢温泉駅に到着。
ここで後ろ1両切り離し作業のため、11分の停車です。
民家の数が一気に減り、険しくなってきました。
列車は左岸をへばりつくような形でゆっくりと進みます。
右へ左へと急カーブが続き、トンネルの数も多い。
観光客にはのんびりとしていいですが、これが地元民だとやっぱり車を使っちゃうな~と思います。
12時14分、森宮野原駅に到着。
反対列車との待ち合わせで、19分も停車します。
この先、行き違いできる駅がないんですね。
なお、ここ栄村は豪雪地帯で、ホームから「日本最高積雪地点」と書かれた標柱が立っています。
この停車時間中に、長野駅で買った駅弁「北回廊弁当」を開きます。
2段重ねで、上が長野県産こしひかりのご飯に錦糸玉子と牛そぼろ煮が載せてある。
一方、下の段は、長いもの辛煮、信州サーモン味噌焼き、野沢菜炒め、飯山みゆきポークのすき煮、信州リンゴのワイン煮など、地元の食材を使った料理が詰め込まれています。
味付けも程よく、停車時間中に食べ切ることができました。
森宮野原駅を出発して新潟県に入り、川の名前も信濃川へと変わりました。
津南駅手前で再び土地が開けてきました。
越後鹿渡を過ぎると、列車は信濃川を渡って、右岸へと移ります。
土市駅には、カラフルな列車の絵が描かれた建物がありました。
ネットで調べたら、台湾の作家ジミー・リャオの「幸せのきっぷ Kiss & Goodbye」という絵本を土台にした作品だそうです。
かまぼこ形でほっこりとした温かみのある作品ですね。
13時10分、十日町駅に着きました。
観光列車「おいこっと」の車両が留置されていました。
この車両は「おいこっと」ツアーなど臨時だけでなく、普通列車としても使われているそうですね。
ここで13時38分まで、28分も停車です。
外に出たかったのですが、豪雪地帯とはいえ、さすがに夏真っ盛りということで暑い!
冷房の効いた車内でスマホのネットニュースを見て過ごしました。
車内には地元客が乗ってきて、立ち客まで現れました。
とくに若い人が多いですね。
気持ちのいい青空と、伸びた稲穂たち。
夏の景色って感じですね。
魚野川を渡り、左へカーブすると上越線と合流。
14時4分、終点の越後川口駅に到着です。
およそ3時間半という長時間乗車でしたが、たっぷりと楽しめました。(終わり)
富山へ(中央本線、大糸線)
水戸線に乗った8月13日(火)以降も、猛暑と天候不順で外出せず、15日(木)に富山に帰ることにしました。
青春18きっぷの効力をフルに生かすため、中央本線と大糸線を使って、糸魚川まで出ます。
糸魚川から先富山へは、残念ながらJR線ではないため、正規の運賃を払って乗るつもりです。
ただ、気になるのが台風10号の影響。
予報では夕方から雨風が強まると報じられていますが、こいつの進路次第では途中で運休に遭う可能性がある。
予定では今夜の7時半に家に着くことになっているから、どこまで進められるのか一種の賭けです。
ただし糸魚川まで乗れたら、その先の在来線が運休になったとしても、北陸新幹線をあてにして帰ることができます。
新幹線は滅多なことでは運休になりませんから、そこまで進めたいですね。
昨年9月にも実家から同じルートで帰りましたが、あの時は新宿から「ホリデー快速ビューやまなし号」に乗って途中の小淵沢まで行きました。
今回は平日のために「ビューやまなし号」は走らず、普通列車に乗ることにします。
この9時54分発は松本行きというロングランで、182.3kmをおよそ4時間かけて走ります。
疲労は覚悟しなければなりません。
しかもけしからぬことに、座席は都会の通勤電車と同じロングシート。。。
元々東海道本線で走っていたのを、耐寒構造に改造してあとはそのまま中央本線に持ってきたのですが、観光路線でこのサービスって、いったい「お・も・て・な・し」はどこへ逝ったのでしょう。
JR東日本より経営基盤が弱いJR西日本では、2人がけ/4人がけにできる転換クロスシートに改造している古い車両もあるのに、なぜこの会社は、せめて4人がけボックス席に改造しないのか不思議でなりません。
私のように終点まで乗り通す人はごく少数だとしても、河口湖(大月乗り換え)や勝沼ぶどう郷、石和温泉、甲府まで行く人はざらにいるだろうし、韮崎、小淵沢、上諏訪、塩尻、松本も区間乗車であればそこそこいるはず。
車内には外国人もたくさんいて、彼らから見たらどう思うのか。
JR6社の中で一番儲かっているのですから、その利益をもう少し利用者に還元してほしいと思います。
(念のため付け加えると、ロングシート車の運用は一部で4人がけボックス席を備えた普通列車もあります。)
高尾駅を出発した列車は一気に山の中へと入り込みます。
駅間では民家が点在するぐらいで、深い森に分け入った気分。
東京駅から55kmしか離れていなくて、この幽玄な景色を味わえるのですから、観光客に人気なのも肯けます。
この日は台風からの湿った風の影響で空は真っ白。
霧まで立ち込めています。
スマホの雨雲レーダーを見ると、どうやら大月辺りまでが豪雨の可能性が大きく、なんとか早く切り抜けてほしいところです。
四方津でだいぶ雨足が強まりましたが、列車は定時運転を続け、10時32分、大月駅に到着。
たくさんの観光客が河口湖方面へ向かうのでしょう、ここで降りて行きました。
しかし、台風が接近する日にもこれだけたくさんの人で賑わっていて、大雨・強風対策は大丈夫なのかとも思います。
特急列車との待避で発車は10時46分。
笹子トンネルを抜け、勝沼ぶどう郷まで来ると、天気がだいぶ落ち着いてきました。
甲府盆地を見下ろせビュースポット。
ぶどうはそろそろ収穫の時期を迎えているようですね。
11時40分、甲府駅に着き、ここでも11時57分まで停車します。
その間に昼食用の駅弁を買いにコンコースへと上がり、「元気甲斐」を注文。
お値段が1600円もするのにビックリしましたが、久しぶりに食べたかったので、購入しました。
以前は1200円ぐらいで売ってた気がするのですが、どうも年を経るごとに値段が上がっていますね。
きっと10月からの消費税アップでまた値上げされるのでしょう。
「元気甲斐」は山の幸をふんだんに使ったボリュームのある駅弁。
なのに薄味で食べやすい。
素材の形を崩しておらず、味がストレートに伝わるのも良いです。
この素晴らしい駅弁を、あのロングシートで食すというのですから、恥ずかしさはありました。
繰り返しになりますが、JR東日本よ、普通列車で気兼ねなく駅弁を味わう楽しみまで奪うのですか?
11時57分に甲府駅を出発した列車は、韮崎駅でだいぶ乗客が減り、ガラガラの状態に。
しかし、小淵沢駅で再び乗ってきて、長野県へと入り、信濃境、富士見でたくさんの地元客が乗ってきました。
そして上諏訪駅で降りて行き、ホームには大勢の人でいっぱい。
諏訪湖の花火大会があるのです。
13時50分、終点の松本駅に到着。
これから大糸線に乗ります。
途中の乗り換え時間も含めて、糸魚川までおよそ3時間。。。
なかなかしんどいです。
昨年9月に同じ列車に乗った時は3両編成だったのに、今回はなぜか2両に減車されていました。
去る3月のダイヤ改正で変えたのでしょう。
1両減車された分、当然ながら車内は満員電車状態。
ホントJR東って、利用者より株主(経営)の方に目が行ってるのか。
豊科、穂高と観光客が降りて行き、立ち客もだいぶ減ってきました。
信濃大町駅で15時19分発、南小谷行きの普通列車に乗り換え。
こんどは乗客数も少ないので、2両で妥当です。
木崎湖、中綱湖、青木湖の仁科三湖は、私にとって、もはやお馴染みの光景です。
青々とした稲が伸びていて、これまた夏らしい景色。
飯森という無人駅に停車した時、日差しが出てきました。
薄い日差しにさやさやと風が吹き、ホーム下に小川がちょろちょろと流れていて、のんびりとした雰囲気が漂っています。
ま、台風が目前に控えているので、のんびりしているどころではないのですが。
白馬駅を過ぎ、姫川の深い渓谷に入っていきます。
16時13分、南小谷駅着。
私が列車の写真を吞気に撮っていると、後ろからトントンと背中をたたく人が。
振り返ると、なんと3日前に実家で一緒に夕食を共にした友人とその家族がいるではないか。
実は前日に友人から何時の列車で帰るの?とLINEで連絡を受け、今までの予定を伝えていたのだ。
台風が接近して無事に帰れるか心配で訊いたのかと思ったら、まさかここまで来るとは思いませんでした。
長野市内に在住しており、ここまでどれぐらい時間がかかったのか聞くと、意外にも車で1時間半で来れたとのこと。
そういえば長野市内から白馬へ抜ける道があったのですね。
で、実家でご馳走になったお礼にと、川中島の桃と奥さんの実家でとれたとうもろこしをいただきました。
友人たちと別れ、16時23分発、糸魚川行きの普通列車に乗車。
この区間はちょっとでも雨風(そして雪)が強くなると、すぐに止まるほどの脆弱な所ですが、よく動いたなと思います。
暴れがひどい姫川も、この日は比較的大人しかったです。
17時20分、終点の糸魚川に到着。
それまでひんやりとしていた空気が、日本海側に来てフェーン現象による気温急上昇の影響で、蒸し暑い空気に包まれてました。
この空気に触れるだけで萎えますが、さらにがっかりさせたのは、この先富山方面の在来線が強風のため運休になっていたこと。
まあこうなることは想定済みでしたので、幸い、北陸新幹線は通常運行していたので、ちょうど17時33分発の「はくたか569号」に乗ることにしました。
こうして当初より1時間早い午後6時半に自宅に着くことができました。
とはいえ、10時間も乗車していれば、当然翌日疲れが酷いのは言うまでもなく、そのコンディションで仕事するのは、やはりしんどかったです。(終わり)
水戸線
お盆で埼玉の実家に帰省し、せっかくの機会、青春18きっぷを使ってどこか鉄道の旅に出たかったのですが、なかなか意欲が湧いてきませんでした。
理由は色々あって、まずお盆というシーズンゆえ、どこへ行っても混雑は避けられないということ。
このことは前回の記事にも書いたように、富山から埼玉へと逆方向で、かつ在来線でさえ通勤ラッシュ時並みの混雑を経験したわけですから、相当の覚悟が必要です。
加えて、暑さもさることながら、台風10号接近による湿った風の影響で、いつ夕立が来てもおかしくない程の天候不順だったため、これまた外出する気を削がれる。
場合によっては「運休」なんて目に遭いそうですから、それならばいっそのこと家に居た方が賢明だという判断が働きます。
そういうわけで、実家に帰省した次の日(8月12日)はひたすら家でゆっくりとくつろぎ、夕方から高校・大学の友人とその親父さんが来て、私の家族と共に食卓を囲んで飲み食いして過ごしました。
翌日の8月13日(水)。
ついに重い腰を上げて駅に向かいました。
これは「乗りたい」という気持ちというよりは、「残り4回分もある青春18きっぷをどうにかして使い切りたい」という貧乏性から来るもので、鉄道ファン歴=年齢と思うほど長く鉄道に親しんできた身としては、初めての気持ちです。
で、目的となる乗車路線は、水戸線という知名度としては高くないローカル線です。
浦和駅で11時ちょうどの宇都宮線の快速列車に乗ろうとホームで待っていたら、駅員による放送が流れ、さいたま新都心駅で線路に人立ち入りがあったというけしからぬ事態が。
この影響で浦和駅を通る全列車がストップするということになりました。
首都圏に来るたびに、ロシアンルーレットの如く、毎日どこかで遅れや運転見合わせが発生しているのを見ると、(すべて鉄道会社が悪いわけではないものの)はたして日本の鉄道は世界一時間に正確だという神話は本当なのかと疑いたくなります。
結局、11時ちょうどに発車するはずの快速列車は15分遅れで浦和駅を発ち、さらに大宮駅で5分延びて小山駅には20分遅れの12時7分に到着。
12時3分発の水戸線を逃してしまいました。
次の列車は13時3分とおよそ50分時間が空いたため、改札を出て駅ナカの日高屋に入ってラーメンんと餃子で腹ごしらえ。
安い値段の割に美味いのは、さすが庶民の味方です。
昼食を終え、再び改札口を通って15番線ホームへと下りて行く。
すでに5両編成の電車が停まっていて、車内へも入れました。
やはりシーズン中ということもあって、出発時にはほぼ満席、立ち客もいるほどの賑わいっぷりでした。
路線としては水戸駅に届かないのに「水戸線」という妙な路線ですが、元々は水戸駅に到達した最初の路線であることからこの名前が付けられ、後から常磐線が開通して結果的に支線のような扱いになったという経緯があります。
実際の運用では1日に何本か水戸駅(あるいはそれ以降に)直通しています。
小山駅を出発してすぐに、電化の直流方式から交流方式に切り替えるための「デッドセクション」が設けられ、以前の国鉄型車両ではその区間に入ると車内照明が落とされて暗くなったのですが、新型車両ではそうした光景はなくなっています。
「鬼が怒る」という厳めしい名前に反して、のっぺりとした穏やかな川ですね。
しかし、2015年(平成27年)9月の豪雨によって、常総市で堤防が数カ所決壊し、大規模な洪水を引き起こしたというのですから、油断はできません。
この日も順調に入道雲が育っていることから、再び増水しないか心配になります。
下館駅までは田んぼが広がる平坦な所を走ります。
真岡鉄道と関東鉄道常総線の乗り換え駅である下館で乗客が入れ替わります。
下館駅から先はなだからな丘陵地帯の間を縫うように走ります。
もっさりとした緑が多く、夏らしさを感じます。
その一方で、やはり単調な景色が続き、心地良い揺れと相まって、眠りへと誘ってくれます。
眠りに貪欲な私は当然抗えず、岩瀬から福原にかけて意識が飛んでしまいました。
小山駅から1時間5分の乗車で、14時8分、終点の友部駅に到着。
小ぢんまりとした駅です。
ここで14時14分発の常磐線上野行き普通列車に乗り換えます。
水戸線のゆっくりとした速度とは対照的に、常磐線内は普通列車でもガンガン飛ばし、最高が130kmと特急並みのスピードです。
国鉄型車両より軽いのですから、これで地震や踏切内車の立ち往生とかで脱線が起こらないか心配になります。
我孫子駅で下車します。
この駅と言えば。。。
駅そばの弥生軒。
ここの唐揚げそばは、どでかい唐揚げが「でん!」と鎮座しており、食べ応え満載。
お腹いっぱいになりました。
ところで、ここの店員さんはアジア系の人で、慣れない日本語でお客さんに一生懸命応対していました。
「ごちそうさま」と挨拶し、お店をあとにしました。(続く)
帰省(えちごトキめき鉄道、信越本線、上越線)
お盆休みに入った8月11日(日)から15日(金)まで、埼玉の実家に帰りました。
お金があまりないので、富山から新幹線を使わず、在来線で向かいます。
あいの風とやま鉄道の泊駅で、7時51分発、直江津行き普通列車に乗車です。
お盆だというのに1両しかなく、当然車内は混雑です。
座席はすべて4人がけボックスシート。
向かいの座席との間隔が広く、足が楽チンです。
泊駅を出発すると、進行方向左手に日本海が見えてきます。
越中宮崎駅付近にはキャンプ場があり、たくさんの行楽客で占められています。
バーベキューや海水浴ができて羨ましい限りですが、実際に利用した友人によれば、夜に貨物列車がひっきりなしに通るらしく、その通過音で安眠できないとか。
テントの中だから防音対策などしているはずもなく、この点だけが欠点だと言っていました。
路線名も越中宮崎駅から「えちごトキめき鉄道(日本海ひすいライン)」に変わります。
北陸地方屈指の難所「親不知」では、海上に北陸自動車道と国道8号線が通っているという珍しい光景が見られます。
あれだけ険しければ、山を削るスペースもないのでしょうが、そのおかげで元々あった砂浜は全部削り取られてしまい、荒々しい波が打ちつける様に変わり果てたという。
今の季節はまだしも、特に冬の荒天時はそれはそれは恐ろしいものです。
親不知はほとんどがトンネルのため、退屈極まりない。
青海を過ぎると住宅街に入り、名前に反してとんでもない暴れ川の「姫川」を渡ってしばらくすると、糸魚川駅です。
ここで乗客の入れ替わりが激しくなります。
浦本あたりの住宅の屋根はみんな黒ばっかりですね。
同じ日本海側でも昨年の春に旅行した島根県・山口県では石州瓦を敷いた赤い屋根が特徴的で、見事な好対照ですね。
しかし、浦本から先は再びトンネルばかりの区間で、特に能生から名立にかけては全長11353mの頚城トンネルがあります。
この頚城トンネルの途中に筒石駅というトンネル駅があります。
時刻は9時2分で、ここから先は青春18きっぷを使って進めていきます。
というわけで、次の列車は9時22分発、長岡行きの快速列車です。
お盆という最も混むシーズンのはずなのに、たったの2両編成。
おかげで車内はまたしても混雑です。
先ほどのえちごトキめき鉄道は車両数が少なく、1両でも仕方ないなと思いましたが、天下のJR東日本がケチって2両とはいかがなものか。
せめて混雑する時期ぐらい倍の4両に増車してほしかったと思います。
こういうケチぶりがサービス低下、そしてますます高速バスに客を取られると思うのですが。
柿崎を過ぎれば再び日本海が目の前に!
こんな素敵な景色を持っているにもかかわらず、2両で観光客を詰め込んだりしたものですから、ほとんどのお客さんは見られませんでしたよ。
そういうのを見ると、こちらとしても18きっぷの旅を楽しめないでしょう。
しかも柏崎からさらに乗ってきて、ぎゅうぎゅう詰め。
これじゃあ都会のラッシュ時となんら変わりませんな。
車両の運用変更なんとかならんかったのかなぁ。。。
列車は柏崎から丘陵地帯へと入っていきます。
とりわけ長鳥駅付近は意外にもなかなかの秘境っぷりを見せてくれますね。
次は10時34分発の上越線、水上行き普通列車に乗り換えます。
今度は4両編成で、まあこれがシーズン中で最低限の編成両数でしょう。
青々とした田んぼがよく映えています。
信濃川の支流「魚野川」。
しばらくはこの川と一緒に進みます。
いまだに全線復旧を果たしていない気の毒な路線ですが、幸いにも上下分離という形で復旧の見通しは立ったとのこと。
被災前に一度だけ乗ったことがありますが、只見川に沿う素晴らしい深山幽谷を持っているので、これからの観光需要に期待大です。
八海山はちょうど雲に隠れてしまいましたね。
列車は11時53分に越後湯沢駅に到着。
ここで20分の待ち合わせです。
新幹線停車駅だから、駅ナカに飲食店はあるものの、いま席を離れれば戻ってくる頃には席が埋まっていることは目に見えている。
したがって、ここは我慢のしどころ。。。
やがて、予想通り乗客がどんどん乗ってきました。
何しろ上越線のいちばんの見所に入るのですから、当然と言えば当然です。
12時13分、列車は越後湯沢駅をゆっくりと発車しました。
越後中里駅までは比較的平坦な所を走るものの、ここから一気に山の中へと入ります。
標高を稼ぐため、今私が乗っている上り線は「ループ線」と言って、ぐるりとひと回りして上っていきます。
土樽駅で登山客が乗ってきて、いよいよ全長9702mの清水トンネルに入る。
トンネル内は障害物がないため、ビュンビュン飛ばします。
トンネルを抜けると、気温差が大きかったのか、窓が一気に曇って見えづらくなりました。
土合駅に着き、たくさんの観光客が乗ってきました。
こんどは標高を下げるのに、2回目のループ線でぐるりと回ります。
湯檜曽駅から通ってきた所がちょびっと見えたりします。
12時52分、水上駅に到着し、狭い跨線橋に多くの乗客が一斉に通りだす。
私はいったん改札の外に出て、目の前のお土産屋さんに入り、まんじゅうとどら焼きを買い、再びホームに入って、13時14分発、新前橋行きの普通列車に乗りました。
列車が入線した時、満員電車かと思うほどぎっしりと乗客が詰め込まれ、ドアが開いた瞬間に吐き出されるように降りて行くのを見て、ホント逆方向で良かったと思う次第。
車内でまんじゅうとどら焼きで空腹を紛らわせつつも、この後さらに乗り続け、埼玉の実家に着いたのが午後4時半と、およそ9時間半の行程が終わりました。
青春18きっぷは安いけど、疲れという代償は大きい。。。(続く)
魚津たてもん祭り
夏休みに入り、勤務時間が変わったこともあって、仕事が一気に忙しくなりました。
そんな中、我が地元魚津に6年以上住んでいながら、ユネスコ無形文化遺産に登録されたにもかかわらず、いまだに「たてもん祭り」を見たことがないというのも何か引っかかる気がし、折しも「たてもん祭り」を含む「じゃんとこい魚津まつり」が50回目という節目と、さらに令和元年と改元したてということもあり、せっかくの機会、ボランティアに参加することにしました。
8月3日(土)。
仕事から帰宅して早々、自転車に乗って、集合場所である大町公民館へと向かいました。
公民館の目の前が富山湾で、ちょうど夕日が沈む頃でした。
中へ入って2階へ上がると、大部屋はすでに人がいっぱい座っていて、入り口で受付とオリジナルTシャツ、法被、配置図、首に掛けるキーホルダーと飴をもらいました。
更衣室で着替え、再び大部屋に入って配置場所の所に座ります。
見回すと、外国人がたくさんいて、ボランティアもとうとう県外の日本人だけでは集めきれず、外国人に頼るところまで来てしまったかという印象です。
午後7時、たてもんの曳き回し方についての説明があり、20分後に終わって外へ出て配置場所へと向かいます。
道路上にたてもんが待機してありました。
開始が午後8時半からで、その間、海上花火を見ます。
およそ30分間で、基本的には1発ずつ打ち上げられるシンプルなもの。
秋田県の大曲や新潟県の長岡のようには遠く及ばないものの、近所でこういう花火が見られるのは良いですね。
私は「諏訪町4区」という所のたてもんを曳き回します。
係の人が「せーのこいっ!」という掛け声があったら、「ヤーー!」と言って綱を引っ張ります。
この時、1人だけが頑張ってもダメで、参加者全員が60%ぐらいの力でタイミングよく引っ張ると、うまく動いてくれます。
動き出したら、全員で「やっっさやぁーーれ!」と繰り返し叫びながら進みます。
最初はなかなかタイミングが合わなくて、びくともしなかったのですが、そのうち合うようになると、「おお!本当に動いた」とちょっと感動します。
しかし、進んでもすぐにたてもんが動かなくなってしまうので、その度に動かさなければならず、次第に疲れてきます。
一定の距離を進むと、「チリチリチリン」と係の人がベルを鳴らし、休憩に入ります。
休憩中に地元の人が冷たいお茶をふるまってくれます。
おばあちゃんから子どもまで、せっせとボランティアがいる所まで来て、「お茶はいかがですかー」と呼び掛けてくれます。
道路上を曳き回した後は、諏訪神社の境内で曳き回します。
これはボランティアがやらず、地元の人達がやります。
男たちの勇ましい声に圧倒され、女々しい自分が場違いに思えてきます。。。
それから、神社の本殿の中に入ってお祈りをし、それが済んだら再びたてもんを境内の外へと引っ張り出します。
この時になると、暑さと眠さと疲れで、意識が飛びそうになります。
そして最後は記念撮影。
神輿の上に乗ることはタブーだと思ってましたが、なぜか上に登ることが許可され、少し高い所に立って写真撮影。
午後11時半にやっと終わりました。
翌日は日曜日だったので仕事はお休みであるものの、当然疲れから、1日中寝込むことになりました。