ゆき丸の鉄道日記

鉄道旅行や雑記を綴ります。

肥薩線(特急いさぶろう1号)

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11月2日(金)、午前8時過ぎ。

九州・沖縄鉄道旅行も6日目となりました。

今日は、熊本駅から出発して肥薩線に入り、吉松駅でJR最後の未乗路線である吉都線を目指します。

いよいよ今日でJR線完乗ができると思うと、なんだか感慨深い気持ちになりますが、しかしここで油断してはいけない。

今日も九州は好天気だそうだから、大雨の心配はまずないといっていいだろうけど、地震と噴火、人為的事故の余地は残されています。

起こる確率は極めて低いけど、絶対とは言えません。

なにしろ、この旅行を始めてからというもの、災難どころか雨にすら降られていない好運が続いています。

こういう時こそ、落とし穴がパックリと開いて待ち構えているから、心せねばなりません。

吉都線都城駅に到着後、日豊本線国分駅まで行き、バスに乗り継いで鹿児島空港へ行きます。

鹿児島空港から飛行機で那覇空港へと飛び、糸満市内の宿に到着という流れです。

今日中に沖縄へと飛んで行くので、宿の到着予定が午後8時半と遅いですが、まあ仕方ありません。

長い1日になりそうだけど、のんびり楽しみたいと思います。








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熊本駅5番のりばから、8時31分発、特急いさぶろう1号、吉松行きに乗ります。

2両編成の車両は、一般車を改造したものです。

この列車は2年前に乗ったことがありますが、その頃は快速列車(肥薩線普通列車)として運行されていました。

平成29年(2017年)3月に、特急かわせみ・やませみが導入されたと同時に特急に格上げされ、それに伴って特急料金もかかるようになりました。

始発駅ですが、私は指定席を取りました。







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その理由は、指定席は4人がけボックス席に充てられますが、自由席はロングシート部分7席しか用意されていないからです。

だから、JR九州のホームページでも事前に指定席を買い求めるよう推奨していますが、この事情を知らないで自由席特急券を持って乗った日には、青天の霹靂(へきれき)な思いをすることは間違いありません。

この設備でよく特急料金取れるなと思いますが、以前の快速列車よりも通過駅が多くなり、速達性を考慮してのことでしょう。

戦前の二等車あたりに返り咲いた趣です。

座席こそ特急列車としてはお粗末ですが、観光列車という性格ゆえ、アテンダントさんが2名ほど付き、車内販売や沿線の案内をしてくれます。

ただし、これは快速列車の時にも行われていました。

その他、展望スペースが設けられていて、テーブルの上には肥薩線の案内マップやお知らせ、記念乗車証とスタンプ、本などが並べられています。

乗車人数は10人弱でした。




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八代駅から肥薩線に入り、列車は球磨川(くまがわ)の狭い谷を縫って進みます。

肥薩線は初期の鹿児島本線で、水俣や川内方面に向かう新線(現在は肥薩おれんじ鉄道)が開通するまで、こちらを走っていました。

歴史ある路線ですが、今ではすっかりローカル線に成り下がり、本数も少ないですが、球磨川の渓谷美やこの先の矢岳越えがあって、これらが人気となっています。





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今日も青々とした空に刷毛(はけ)でのばしたようなすじ雲が広がり、穏やかな陽気です。

川はエメラルドグリーン色をしていて、流れは概して速い。

2年前に乗った時は雨で、霧が山々を包んでいたから、さながら水墨画を呈していましたが、あれはあれで良かったと思います。

ですが、2度目も雨では景色がダブってしまい、興醒めです。

その点、今日は山や川、集落がまるで微笑むような表情を見るようで、緊張感がほぐれてふわふわとした心地になります。

そんな景色を眺めていたところへ、アテンダントさんが車内販売でやってきました。

飲み物や軽食、キーホルダーなどがありましたが、買いませんでした。

それから「栗めし」の注文を訊ねてきました。

栗めしとは、人吉駅前に構える「やまぐち」というお店が製造する駅弁のことで、栗の形をした器に、たっぷりの栗が入った炊き込みご飯や煮物などがのっています。

2年前に食べたことがあり、ヘルシーな内容で小腹が空いた時に都合の良い量だと思いました。

食欲をそそりますが、この後吉松駅で1時間40分以上の待ち時間が控え、そこで昼食をとる心づもりでしたから、これも注文しませんでした。







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渡駅の先のトンネルを抜けると、土地が一気に開けてきました。

人吉盆地に入ったのでしょう。

住宅街やロードサイド店が姿を現し、10時4分、人吉駅です。

新たに10人ほど乗ってきました。






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なんと、対面にはクルーズトレイン「ななつ星 in 九州」が停車していました。

ホームに出て写真に収めたい気持ちに駆られましたが、惜しいことに私の乗る列車はすぐに出発するとのこと。

せめて5分ぐらい待ち時間があればと歯がゆさがありましたが、先にクルーズトレインがゆっくりと出発し、間もなくして当列車も人吉駅を発車しました。






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球磨川を渡ると、にわかに景色が変わりました。

矢岳越えをするためで、大畑(おこば)、矢岳、真幸(まさき)、そして吉松の順に停まっていきます。

この区間肥薩線内で最も少なく、1日3往復しかありません。

ほとんど観光路線化していますが、周囲に民家は非常に少なく、山の頂上を目指している感じで列車はゆっくりと登っていきます。






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大畑駅です。

言わずと知れたスイッチバックループ線のコンボ駅で、4分ほど停車します。

この駅は桜の木が並んでいて、春に見頃を迎えます。

今はもう枯れ木となって、殺風景でしたね。。。

大畑駅には、かつて駅の掃除をしていた男性と、その男性を慕う犬がいて、男性がスズメバチに刺され、倒れていたところを、この犬が通りかかっていた列車の乗務員に知らせたことで、一命をとりとめたという逸話があります。

なんだかほっこりするお話ですね。

駅前には今年9月にオープンしたばかりのレストランがあり、ランチやカフェを楽しめます。

料金が高いけど、地元食材を使った、ここでしか味わえない料理を堪能できるのでしょう。






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スイッチバックして、ぐるりとループ線を辿り、列車はさらに登っていきます。

えびの高原線」という愛称が示すように、だんだんと高原の様相を呈してきました。






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標高536.9m、肥薩線内で最も高い位置にある矢岳駅です。

列車が遅い分、苦労して登り切ったという印象ですが、これでも豊肥本線の波野駅には200mも及びません。

あちらの方があまり高いという感じがしないのですが。。。

それはさておき、この駅では8分ほど停車するということで、駅前を少し散策します。





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駅を出て左手に、「人吉市SL展示館」があります。

展示館といっても、D51形蒸気機関車が保存されているだけです。

その横で、小さな物産展が開いており、長机の上に地物の食材が並んでいました。

車内販売では何も買わず、駅弁も買っていない私は、せめて1つでも買って経済貢献しようと、すでにカットされた梨を1パック買いました。

アテンダントさんの話では、ここのおじいさんはほぼ毎日立ってお店を開いているそうです。





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まさか11月になってからも梨を食べるとは思いませんでした。

甘みはさすがに鳴りを潜めていましたが、すっきりとした味が広がり、あっという間に平らげてしまいました。

ところで、こんど2019年4月から、矢岳駅の旧国鉄駅近官舎を宿泊施設としてオープンするそう。

大畑駅のレストランといい、肥薩線のブランドがますます上がっていく気がします。







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全長2096mの矢岳第一トンネルを抜けると、左手の車窓に霧島連山が見えてきました。

列車はここで一時停止して、アテンダントさんが案内してくれます。

写真では分かりませんが、この時、右の奥の方にうっすらと桜島が見えました。

私の席はこの車窓とは反対側ですが、乗客が少ないから、空いている席に座ってもお咎めなしです。

下に見える町は、「京町温泉郷」です。






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真幸駅前でも、スイッチバックします。

運転士と車掌は、その度に移動しなければいけませんから、大変ですね。





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肥薩線内唯一宮崎県にある真幸駅

こちらも4分ほど停車します。





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待合室には猫のエサが置いてあります。

しかし、肝心の猫は外出しているようでした。

猫が入れるよう、待合室のドアは少し開けておくようになっていました。






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駅前には民家が1軒も見当たりません。

縁起の良い駅名ですが、その名前に反して、この辺りは災害に見舞われる厳しい所で、1972年(昭和47年)の豪雨で土砂崩れが起き、死者4名、負傷者5名のほか、周辺の住宅も飲み込まれてしまいました。

住人は移転し、結果、人家のない駅になってしまったのです。

また、この先の山神第二トンネルでも悲惨な事故が起こっています。

1945年(昭和20年)8月22日、多くの復員兵を乗せた汽車がトンネル内で立ち往生しました。

煤煙まみれで息苦しくなった復員兵はトンネルから抜けようと、次々と列車から降りていきました。

その状況を知らない機関士が、汽車をバックさせたところ、次々と復員兵を轢き、56名もの死者を出してしまいました。

戦争が終わって、もうすぐ家族や知人と会えただけに、余計に悔やまれます。





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そういう悲惨な事故を知って、なお「幸せの鐘」を鳴らすのは気が引けますが、これからも肥薩線が平穏無事に運行されることを願って、カランカランと鳴らしました。

私はもう列車に乗れるだけで幸せですから。





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列車は真幸駅を出発して、どんどん下っていきます。

左から、次に乗る吉都線の線路が近づいてきて、11時22分、吉松駅に到着です。





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次の吉都線が13時6分出発ということで、ひとまず休憩です。(続く)