ゆき丸の鉄道日記

鉄道旅行や雑記を綴ります。

富山ライトレール2(岩瀬浜、森家、東岩瀬浜駅)

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岩瀬浜駅で降りた私は、まずは海水浴場へ行ってみることにしました。

案内板に従って、住宅街を歩くこと400m。







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海水浴場の入り口にたどり着きました。

駐車場には、シーズンオフなのになぜか自家用車が4,5台停まっていました。






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駐車場を抜けると、広い砂浜に出ました。

上空には鳶(とんび)が鳴きながら飛んでいます。

人は少なく、ゴミはほとんど落ちていませんが、夏になれば海水浴客で賑わいます。






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風は比較的穏やかでしたが、波は冬の日本海らしく荒々しい波を立てて、テトラポットを打ちつけていました。

波打ち際まで来ると、流木などが散乱していて、海の色も汚らしく見えます。

5年半前の夏にはじめて訪れた時も、波こそ穏やかでしたが、海色が思っていたほど綺麗でなくて、がっかりしたのを思い出します。

しかし、富山駅からライトレールでおよそ25分、岩瀬浜駅から歩いて5分ほどの所にありますから、便利と言えば便利です。

もっとも、地元の海水浴客は皆、車で来ますが。







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思っていたより薄雲が広がって、立山連峰が霞んでしまいました。

もっと澄んでいれば、雪を被った山並みが期待できます。







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岩瀬浜駅に戻ると、1本あとの電車がホームに停まっており、ホームを挟んで路線バスも待機していました。

水橋漁港方面に行くバスで、平日は1時間に2本、土曜休日は1本の間隔です。

私は駅前を通り過ぎ、こんどは「廻船問屋のある街」を目指します。







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岩瀬運河を渡る橋の上からライトレールを撮ってみます。

ここはライトレール線内でも有名な撮影スポットで、先ほど私が乗ってきたときも、カメラを構えている人がいました。

やっぱり雲で山が霞んでしまいましたが、仕方ありません。






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ライトレールとは反対方面の運河沿いを歩き、さらに左へ折れて閑静な住宅街を通ります。

道路のコンクリートは、雪融けを促す塩化カルシウムを撒いたせいか、茶色く錆びついています。

雪国の宿命ですね。







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廻船問屋のある街に着きました。

古くて重厚な木造家屋の多い通りですが、人通りはなく、寂しい趣です。

平日はいつ行ってもこんなものでしょう。






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その古い町並みの代表格が、国指定重要文化財の「森家」です。

1878年(明治11年)に建築された建物は、北前船の問屋としての雰囲気を残しています。

観覧料100円を払って中に入り、ガイドのおじいさんの案内に従って、囲炉裏のある間に上がりました。






ここを訪れるのは、今回で2回目。

1回目はやはり5年半前の夏でした。

うだるような暑さの中、畳敷きの間に上がると、不思議と涼しく感じ、風鈴がチリンチリンと鳴れば、いっそう清涼感を与えてくれました。

2回目の今日は、逆に外が寒々しく、中はストーブで温められていました。

ガイドのおじいさんが1階の造りや絵画などについて丁寧に説明してくれました。

その後、古い家によくある急な梯子のような階段を上れば、番頭部屋と女中部屋に分かれており、とくに番頭部屋なんか狭っこい所で寝ていたのかと想像しました。

1階に下りて、トオリニワを通っていくと、2つの土蔵があり、扉には龍などの彫刻が施されていました。







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その土蔵の先は外へ続き、当時は北前船が富山港に着いてそのままこちらへ荷物やらを運んでいたそうです。

総じて見応えはじゅうぶんで、これで観覧料が100円とはかなり安いと思います。
(個人的には300円ぐらい取ってもいいぐらい)








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森家をあとにして、再び町歩き。

1900年(明治33年)開業の岩瀬銀行本店を引き継いだ北陸銀行岩瀬支店があります。







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その少し先に、桝田酒造店があり、銘酒「満寿泉(ますいずみ)」が買えます。






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養願寺をかすめると、東岩瀬駅に着きました。

駅舎はJR時代のままで、中に入ることができます。






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中はこのように、テーブルと椅子が並べられて、なにかの集会所のような趣です。

待合室代わりにもなりますね。





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ホームも残されていますが、当然そこからライトレールに乗ることはできません。

富山駅北方面は、線路を挟んだ向かい側です。(岩瀬浜方面は反対の向きにあります)







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鉄道紀行作家の宮脇俊三は、処女作『時刻表2万キロ』の中で、高山本線から富山港線に乗り継ぐのに失敗し、それを挽回しようと、富山駅からタクシーを飛ばして、岩瀬浜駅から富山港線に乗ろうとしましたが、赤信号に引っかかりまくったおかげで果たせず、あえなく当駅から乗ったというエピソードがあります。

のちに東岩瀬・岩瀬浜乗りつぶしのリベンジを果たしましたが、宮脇氏にとって富山港線(そして失敗の大本でもある高山本線の猪谷駅)は、苦い思い出として刻まれたのかもしれません。

それから約40年の月日が流れ、富山港線国鉄はおろか、JRでもなくなってしまいましたが、本数が1時間に4本にまで増えて、楽に乗りつぶせるようになったのを、亡くなった宮脇氏はどう思うのでしょう。(終わり)