ゆき丸の鉄道日記

鉄道旅行や雑記を綴ります。

柴又帝釈天、寅さん記念館、江戸川

11月5日(日)の午前中に京成金町線に乗り、柴又に行ってきました。

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いわゆる「赤電色」の3300形電車はもうなく、ステンレス車3500形に代わってしまったのが惜しいが、構内踏切や駅前の雑然とした雰囲気は今も健在。

さて、柴又と言えば、映画「男はつらいよ」ですよね。

最近、川本三郎『「男はつらいよ」を旅する』(新潮選書)を読み、「男はつらいよ」の中には鉄道がふんだんに登場することを知りました。

ならば、ぜひとも見に行ってみたい。

かようなことで、ここ柴又にやってきたのであります。

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柴又は4年半前に一度来たことがあり、今回で2度目。

参道は前回と同じ賑やかな景色でホッとします。

私はこういう歩行者天国ホコ天)は大好きです。

人々の会話のやり取りや笑顔があちこちで見られるから。

ところで、参道沿いには川魚料理店が多く建ち並んでいる。

この近くを流れる江戸川は、ウナギがとれることがあるんだとか。

もちろん、今はどこか他所のウナギを取り寄せているのだろうが、江戸川でウナギがとれるのは知らなかった。

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お馴染みの帝釈天の入り口(二天門)です。

二天門を右に曲がり、徒歩で10分ほど歩くと、寅さん記念館に到着。

ここは初めて。

館内は「男はつらいよ」の展示で詳しく説明されているが、鉄道ファンとして嬉しかったのは、鉄道が随所に見られること。

例えば撮影スタジオ「柴又帝釈天参道」の寅さんの生い立ちで16歳の時に父親に勘当されて家出するシーン。

柴又駅で妹のさくらに見送られるのだが、その可動式のジオラマがとても精巧で、セリフはもちろん、電車の扉が閉まって発車するところまでの凝りよう。

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そして、「帝釈人車鉄道への旅」では、明治32年から大正2年にかけて、金町駅柴又駅間で走っていた人車鉄道の模型が展示されている。

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この人車鉄道は乗務員1~2人に対して、乗客6~10人を乗せて「人力」で走らせていた。

帝釈天への参拝客のために敷設された。

運賃が高く、まだ富裕層しか乗れなかったが、乗務員にしてみれば体力勝負で、当時の苦労が偲ばれる。

さらに、「寅さんが愛した鈍行列車の旅」では、映画に出てくる鉄道シーンのみを映し出している。

私は「望郷篇」を見たが、北海道の蒸気機関車と寅さんがよく合う。

これほど鉄道が充実しているのは、やはり「男はつらいよ」に鉄道が重要な役割を果たしたからではないか。

記念館を出た後、隣接されている山田洋次ミュージアムを見た。

所々に名言があって、映画「学校」のコーナーで「子供達が学ぶのは学校だけではない。」という言葉が印象に残った。


山田洋次ミュージアムから外に出て、少し上がると、そこは寅さんがよく散歩した江戸川が広がっていた。

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矢切り渡しの向こう側が千葉県松戸市

西の方の鉄橋はJR常磐線で、東の鉄橋は北総鉄道線。

北総線はちょうど特急スカイライナーが軽やかに駆け抜けていった。

やわらかな陽射しだが、ひんやりとした風が吹き、晩秋を思わせる。



柴又駅に戻り、京成金町線京成金町駅に向かった。

今乗っているこの区間がまさに、開業時は人力で走っていたところなんだなと人々の努力が身に染みた。