ゆき丸の鉄道日記

鉄道旅行や雑記を綴ります。

奥羽本線(山形線)、陸羽西線、羽越本線、信越本線

山形駅での乗り継ぎに失敗し、呆然としましたが、動かなければ何も始まらないので、とにかく駅構内へ。


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10時18分発、新庄行きの普通列車に乗車。

車内は、都市方面でもないのにいったいどこへ行くのか、たくさんの乗客(特に若い人)で賑わっていました。



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天童南駅という新しくも無人駅で、大半の乗客がドドドっと降りていきます。

よく見ると、駅前にイオンモールが建っていて、なるほどと合点がいきました。

列車はさらに村山盆地を北へ突き進み、サクランボが収穫をむかえていました。

やがて、芦沢駅あたりから尾花沢盆地に入り、ひとけの少ない所を走ります。

右手に陸羽東線の線路が見えてきました。

陸羽東線のみの南新庄駅で列車とすれ違い、私が乗車している普通列車は、すんでのところで陸羽東線にも乗り換えられないのかと、気の毒になりました。

土地が開けて新庄盆地に入り、11時32分、新庄駅着。


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次の陸羽西線が13時8分と1時間半近くも待たなければなりません。

この列車で行くと、余目駅着が13時54分で、羽越本線の新潟行き特急いなほ10号が14時39分で、45分の接続です。

富山方面へ帰るため、その後、新潟駅信越本線、17時2分の快速列車に乗り、直江津駅えちごトキめき鉄道日本海ひすいライン19時8分発、最後に泊駅であいの風とやま鉄道20時24分発となります。

私の描いた成案は永遠に闇に葬られ、凡百な旅程へと成り下がりましたが、家に帰れるだけでもマシでしょう。




「この時間は乗り換え列車がありません。どうぞ待合室でお待ちください」という案内放送が流れ、陸羽東線のニアミスといい、いよいよあの普通列車は他路線への乗り換えにやさしくないという思いが強くなりました。

私は乗り損ねた「つばさ123号」の自由席特急券の払い戻し、及び特急いなほ8号の指定席券の変更をすべく、みどりの窓口へ。

払い戻し手数料220円は気になりましたが、それでもおよそ1000円は浮きましたし、帰宅時間も1時間半遅くなるだけで、それ以上余計な出費がかからないわけですから、心のダメージは少ないですね。

「週末パス」の失念と違って、私のせいではありませんから、立ち直りも早いものです。



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新庄駅は、奥羽本線陸羽東線陸羽西線の3線が乗り入れ、東西南北が交わる交通要衝の駅です。

運行本数こそ寂しいですが、構内は広く、駅北側に煉瓦造りの旧国鉄機関庫も存置されています。





ちょうどお昼時ですから、昼食をとりに、奥まった所にある老舗ラーメン店「一茶庵」で、あっさり醤油ラーメンを食べました。

その後、たまたま開催されていた「朗読会」を鑑賞したり、駅裏側の最上中央公園(かむてん広場)で花壇に咲き乱れた花々を見たり、丘へ上がって市内を一望したりしました。

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・・・12時40分に駅へ戻り、ホームへ。

改札口を通る際、駅員さんが「陸羽西線は3番線ですね。12時56分発の秋田行きの列車の後ですので、お間違いのないように気を付けてください」と、ていねいに説明してくれました。



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秋田行きの列車を見送った後、陸羽西線ディーゼル車がそろそろと入線してきました。

しばらくして押しボタン横にうっすらとランプが付き、ドアを開けて車内へ。

座席は4人がけと2人がけのボックスシートがそれぞれ配置されていますが、2人がけにはペダルが付いていて、回転できるのかと思いきや、窓向きに途中までしか動かせず、中途半端になるのでやめました。

2両編成の乗車率は50%ほどで、年配の登山客が多かったです。



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出発して、奥羽本線と分かれ、まずは右手に雪をかぶった山を見ながら、水田地帯を快走します。



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陸羽西線は「奥の細道 最上川ライン」という愛称が付けられ、車窓から最上川ライン下りを見ることができます。

しかし、思いのほか、列車の速度が速く、見えるのはほぼ一瞬のうちに終わってしまいます。



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庄内平野に出て、風力発電機と再び雪を被った山なみを眺めながら、さらに先へと進みます。

13時54分、余目駅に到着。



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駅前は何もないだろうと思いきや、古い米倉庫を改装した「庄内町新産業創造館」という物産展がありました。

中に入り、パン屋で庄内産ポークを使ったサンドウィッチや、お土産屋で庄内米を使った焼酎を買い、つい散財しつつも、やはり「(今+ここ)しか買えない」効果は絶大だなと痛感しました。



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14時39分発、特急いなほ10号に乗車します。

羽越本線日本海沿いを走る路線で、笹川流れなど荒海に浸食された海岸地形・奇岩や鄙びた雰囲気が白眉(はくび)です。

これまで何度も通ったことがありますが、快晴というめったにない機会で、美しい景色を眺められるのが楽しみでした。

ところが、けしからぬことに、私の座席番号が13Dと山側ではありませんか!

山の景色もいいじゃないかと思うかもしれませんが、山の壁が海岸近くまで迫ってきているため、窓からはただの地肌しか見えません。

トンネルと地肌を見てなにが楽しいのかと叫びたくなりますが、指定された以上、仕方ありません。




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あつみ温泉駅から、(あんまりしたくないのですが、)デッキに移動して、海側の景色を眺めました。

冬は荒れ狂う日本海に暴風が吹きつけ、しばしば運休に追い込まれる区間ですが、そんなことは微塵(みじん)にも感じさせない穏やかな光景です。


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およそ15時20分、府屋駅から新潟県です。

新潟県は南北に細長く延びている県ですから、抜けるのにいったいどれぐらいの時間がかかるのか。。。



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村上駅から日本海最大の面積を誇る越後平野を走行します。

新発田駅から白新線に入り、阿賀野川を渡って住宅街を通り、16時36分、高架ホームの新潟駅に到着。

対面で上越新架線に乗り換えられるようになりましたが、在来線への乗り換えはかえって不便になり、いよいよ東京びいきが進行してきたなと感じます。

もっとも、JR東日本としては、その方が利用者が増えるからいいのですが、それにしても時刻表を開いて直江津方面との乗り継ぎを見ると、とくに特急いなほ号と特急しらゆき号または快速との接続がすこぶる悪く、庄内地方北陸地方のアクセスの悪さが際立っているように思えます。

庄内地方から新潟駅乗り継ぎで直江津方面を見ても、接続のよい列車は朝の1組(特急いなほ2号と特急しらゆき2号)と夕方1組(特急いなほ10号と快速)の計2組しかなく、逆方面にいたっては、1組もない状況です!(かろうじてお昼にあるが、2分接続って無理でしょ?)

もともとそういうダイヤかというと、そうでもなく、2015年3月のダイヤ改正前までは、たとえば私が持っている1月号を開くと、庄内地方から新潟駅での直江津方面への乗り継ぎができるのは、朝の[いなほ2号と北越2号  ※北越号はしらゆき号の前の特急列車で新潟駅金沢駅を結んでいた]、お昼の[いなほ8号と北越6号]、夕方の[いなほ10号と快速くびき野4号]、夜の[いなほ12号と北越10号]と、計4組。

逆方面だと、朝の[北越1号といなほ3号]、お昼の[快速くびき野3号といなほ5号]、夕方の[北越5号といなほ9号]と、計3組です。

かように現在のダイヤ面では、東京⇔庄内地方を重視し、北陸⇔庄内のアクセスは蚊帳の外へ置かれるという構図になっています。

しかも15分前とか、ひどいものだと6分前に出発される[しらゆき5号といなほ7号]のもあって、乗るなら普通列車で乗れと言わんばかりのダイヤ構成かなと時刻表上から読み取れます。

ただ、そう文句を並べても、実際には北陸新幹線えちごトキめき鉄道との接続も考慮に入れなければならないところがややこしく、どうしてもそうなってしまう以上、このルールのもとで旅程を組み上げるしかありません。





おセンチになってもしょうがないので、ひとまず私は、予定していた17時2分発の新井行き、快速列車に乗るのをやめ、先に出発する16時38分発の長岡行き普通列車に乗ります。

ずっと座りっぱなしで、お尻が痛くなってきたので、気分転換も兼ねて。

その列車のいるホームがこれまた遠く、階段を降りて、北側の万代口方面へと歩き、さらに降りて東の方のすみっこに8・9番線のホームがある不便な場所で、あやうく乗り損ねるところでした。




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新潟地区の列車にもドア上に液晶ディスプレイが付いたんですね。

地元のCMが流れて、地域の特色らしさが出ています。



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広大な水田地帯をどんどん走ります。

こうしてみると、越後平野がいかに広いか実感できます。

17時54分、長岡駅到着。


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つづいて、18時4分発の快速、新井行きに乗ります。

先ほどの普通列車が4両編成だったのに、こちらは3両編成。

快速の方が利用されますから、混雑するのは当然で、なぜこちらも4両とか6両の車両にしないのか不思議です。

柏崎駅でかろうじて座ることができましたが、長岡駅からずっと立ちっぱなしの観光客もいて、疲れるだろうなと思いました。



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鯨波駅から柿崎駅までは、信越本線の中でも数少ない日本海が眺められる区間です。

ちょうど夕日が海にしずみ、「神のいたずら」と表現していいかわかりませんが、山形駅での乗り継ぎに失敗して良かったなと思います。




それにしても、私の前や他の座席でぐっすりと眠っている学生(高校生?)たちは、網棚に大きなバッグや道具一式があることから、部活の大会か合宿帰りでしょうか。

本人たちはどう思っているのかわかりませんが、日曜日なのにゆっくり休むことなく、月曜日を迎えるのかと思うと、部活動の罪深さは大きいなと思います。

19時7分、直江津駅に到着。



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えちごトキめき鉄道日本海ひすいラインの泊行きは、19時8分と、乗り換え時間が1分しかありません。

こういう場合、時刻表上ではそうでも、実際は対面で乗り換えられるようになっていることが多く、やはりとなりに日本海ひすいラインディーゼル車が停まっていました。(新潟駅のような例外もありますが)


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1両の車内には、立ち客がいるほどの乗車率でしたが、糸魚川駅で一気に空きます。

親不知を越え、新潟県の最南端駅、市振駅には20時9分。

その先、富山県との境、境川を渡ったのが20時10分ですから、最北端の府屋駅出発が15時20分で、新潟県を抜けるのにおよそ4時間50分かかったことになります。

もう辺りはすっかり暗闇に飲み込まれていました。




これで3日間の行程を無事に終え、乗りつぶし帳を開いて乗車路線に赤鉛筆でぬっていると、東北地方は残り弘南鉄道大鰐線由利高原鉄道鳥海山ろく線となりました。

ぬりつぶしたページをまじまじと眺めていると、おや?

仙石線高城町駅から松島海岸駅までの間と、仙台駅からあおば通駅までの間に白く残った箇所が・・・



自分の粗笨(そほん)な性格が、こんなところにも表れてくるんだなと、まるで鏡を見ている気分になりました。
(終わり)

追記:東北地方の残存路線で、津軽鉄道も残っていました。