ゆき丸の鉄道日記

鉄道旅行や雑記を綴ります。

宗谷本線2(名寄~稚内)

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少し遅れて14時34分、4両編成のディーゼル特急「サロベツ1号」で、宗谷本線の終点、稚内駅に向かいます。

距離が183.2km、時間にして2時間50分という長時間乗車です。

指定席車両はガラガラで、名寄駅からの乗客の多くは自由席にいったそうです。




名寄川(なよろがわ)を渡ると、徐々に土地が狭まって名寄盆地の終わりが近づき、やがて山中へと入っていきます。


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美深駅まで来ると、先ほどまで晴れていたのが嘘のように、雨が降ってきて、さらに北へ進むにつれ、雨足が強くなってきました。

人家(ひとけ)が非常に少ないことも重なって、秘境度が増していきます。




清水駅という無人駅で停車し、反対側の列車が遅れているとの放送が流れました。

宗谷本線は単線ですから、どこか遅れると、反対方面の列車にも影響が出てしまいます。

5分ほど待ち、反対側の特急列車が通過していった後、この列車も再び出発しました。





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15時30分前に音威子府駅(おといねっぷえき)に着き、ここでも数分の時間調整。

といねっぷという、なんとも北海道らしい名前は、アイヌ語で「濁りたる泥川、漂木の堆積する川口、または切れる川尻」という意味です。

ここの駅そばは美味しいと評判らしいのですが、残念ながら今回はお預け。

かつて、ここからオホーツク海沿いの浜頓別駅を通り、南稚内駅で再び宗谷本線と合流する天北線が走っていました。

歴史的には天北線の方が先に「宗谷本線」として、1922年に全通したのですが、1926年、距離がより短い現在のルート、天塩線ができると、こちらをメインとして、1930年に宗谷本線と名前を変え、旧宗谷本線は北見線(のちに天北線)として、いちローカル線に格下げされ、やがて大赤字を出してしまうことから1989年5月1日に廃止されました。




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列車は幌延(ほろのべ)まで天塩川(てしおがわ)に沿って北上を続けます。

沿うといっても、いつもピッタリ寄り添うわけではありませんが、時々木々のすきまから川の様子を見ることができます。

川幅が広く、のっぺりとした流れが、北海道第2位の長さを表している印象です。




幌延駅で、また数分の時間調整。

私の表情がだんだんと険しくなって、腕時計をチラチラと気にし始めました。

というのも、稚内駅では25分で折り返しの列車に乗らなければならず、その間に、写真撮影と夕食用のお弁当購入を済ませておきたいからです。

写真はべつに撮り鉄を主としているわけではありませんが、せっかく、最北端の地に降り立つというのに、そこで写真を撮れずに帰ってくるのでは、あまりにも寂しい。

それに夕食用のお弁当が買えないとなると、折り返しの特急列車に車内販売はありませんから、今夜の宿泊地である士別駅、すなわち20時47分まで我慢しなければならず、それはちょっと避けたいところ。

かようなわけで、これ以上、遅れてほしくないのが気持ちとしてありました。




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豊富駅を過ぎると、草原地帯をひた走ります。

この辺りは上サロベツ原野と呼ばれるそうで、こんな人家のない草原地帯の先に稚内市があるのかと思うと、不思議な感じがしてきます。

もっとも、今でこそ、稚内が最北端の地で、生活・観光の足として、宗谷本線は日々その役割を担っているのですが、戦前は稚内樺太(サハリン)へ連絡する路線として、さらに宗谷本線から分岐する支線から石炭や木材などの物流輸送を目的としたことから、その重要度は高かったそうです。

国鉄がJR各社に分割する前の宗谷本線の路線図を見ると、ほかに名寄本線深名線、美幸線、天北線、羽幌線・・・、と多くの路線があり、どうせ超大赤字を垂れ流すけど、今でもあったとしたら、「乗り鉄」にとってはこのうえない愉快な所であり、一方で乗りつぶすのに苦労する所でもあると想像します。




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抜海駅(ばっかいえき)を過ぎると、わずかな時間ですが、日本海を見下ろせます。

もっとくっきり晴れていれば、日本海に浮かぶ利尻島利尻富士が見えたはずですが、この天気では見えないのも仕方ありません。

ただ、ところどころ雲の切れ目から光が差していたのは、やはりきれいな景色だなと思いました。


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丘陵地帯を抜けた先に、急に住宅街などの建物群が現れて、ついに稚内市に来たんだなという感慨をもちます。

南稚内駅を出発し、進行方向右手に稚内港を見ながら進むと、およそ10分遅れの17時30分過ぎに、終点稚内駅に到着。

15分しかないので、あまり余裕がありません。


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お互いさいはての地ということで、友好都市を結んでいるんですね。
(JRでない場合、沖縄県にある沖縄都市モノレール赤嶺駅が日本最南端の駅です。)



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改札を出て、併設されているお土産屋さんに飛んで、夕食用のお弁当がないか探します。

幸い、「かにいくら丼」だけが残っていましたので、それを購入。

ひとまずこれで夕食が確保できました。



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駅舎自体は大きいですが、ホームと線路はそれぞれ1つしかないシンプルな構造で、なんだかあっけない感じがします。



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外に出ると、磯の香りがほわッと漂ってきて、港町だなという印象を受けます。

夏至とはいえ、最北端の地ということもあってか、風が冷たく、気温がぐっと下がってきました。

稚内は、「冷たい、水(飲み水)の、川」というアイヌ語から来ています。

なお、写真に写っているモニュメントは、ここがかつて稚内駅のあった場所だそうで、現在は南へ100m移動したところに建っています。



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駅前はきれいに整備されましたが、かつて使用されていた線路が延びています。



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海があんなに近いのに、残念ながら、もう折り返し列車に乗らなければならず、遠くからしか見ることができませんでした。

滞在時間がわずか15分という、せっかくさいはての地に来たのに、かなりもったいないことをしたなと思いましたが、乗るのが目的である以上、しかたないと諦め、小雨もぱらついてきたので、駅へ戻ります。

改札口で、出たときと同じ駅員さんに、少しきまりが悪そうにしながらも、「また乗ります」と言って北海道フリーパスを見せると、私の目的を見透かしたように、「あ、はい。どうぞー」と通してくれました。



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折り返しの列車は、特急宗谷という名前に変わって、札幌駅まで走ります。

22時57分着ということで、5時間も走ることになり、北海道の中心地までかなり遠いというか、やはりさいはてなんだなというか、そんな気持ちになります。

行きは名寄駅という途中駅とあって、指定席に乗りましたが、帰りは始発駅ですから自由席に乗ります。

車内には外国人観光客のほか、なんと高校生が乗っていました。

「高校生が特急列車とはなんとぜいたくな!」と思われるかもしれませんが、なにしろ稚内駅発の列車が、普通列車が4本、特急列車でも3本の、合計7本しかないわけですから、時間が合わなければ特急を使わざるを得ない状況です。

通学距離もありますから、定期代と特急料金で、出費がかかると思われます。
(しかし、その後18時4分発、名寄行き普通列車があり、なぜそちらを利用しなかったのか疑問でしたが。。。)



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列車は定刻通り出発し、稚内港を見ながら南下していき、ほとんど来てないような滞在時間で、もうお別れをします。

南稚内駅を過ぎると、またあの人家のない所をひたすら走り、退屈この上ないものでした。

やがて、辺りはすっかり暗くなり、雨が再び強くなってきました。

窓の外を見ると、黒い空がフラッシュのように光り、轟音を響かせました。

そんな悪天候にもかかわらず、途中、踏切の故障で、作業服を着た1人の男性が、列車の安全運転のため、踏切付近に立って誘導している姿を見ると、格好良さと感謝の念をもちます。

幌延駅に着くと、高校生たちが次々と降りていき、駅前で待っていた家族の車に乗って、散り散りに走っていきました。



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お弁当を開いて夕食をとります。

このカニの風味が、あのさいはての地での磯の香りを思い出させてくれます。

申し訳程度の滞在時間で、とくに思い出というものはつくれなかったけど、一応「行った」という事実には変わりませんから、またいつかのためにとっておくということで、よしとしましょう。



それにしても、景色も見えない中で、3時間以上も乗っているというのは、なかなかの苦行で、車内の電光掲示板に「○○駅まで、あと25km」という表示に無意味さを感じさせる一方、それが北海道の広さを表しているなと思ったりしました。

2ヵ所の踏切故障による一時停止の影響で、数分遅れの21時前に士別駅に到着。

ここで終了ではなく、駅からさらに約20分ちょい歩かなければ宿に着きません。

雨は降っていませんでしたが、途中、空がまた光、数秒後に大きな音が轟きましたから、自然、足取りが早くなります。

21時20分、雨が降り出したときに運よく宿に到着。

およそ16時間にも及ぶ旅程がやっと終わり、まあ遊びだからいいのですが、これが仕事なら長時間労働で問題になります。




受付カウンターでカプセル部屋の場所と使い方、そしてお風呂の案内をされ、ロビーを通って奥へ進むと、そこにはカーテンの付いた2段ベッドが並んでおり、なるほど、たしかにプライベート空間がほとんどない所だなと思いました。

幸い、ロッカーが付いていたので、荷物をそこへ入れ、ベッドに入ってみました。

カーテンには鍵とか付いていませんから、貴重品は自分で身に付けるかロッカーに入れるかしかなく、疲れてすぐに風呂に入りたかった私は、いったん貴重品をすべてロッカーにしまいました。

ロッカーを閉めると、入口の方からアラフォーの女性客が1人で入ってきて、私の対面のベッドに入っていきました。

カプセルホテルの利用者は、てっきり男性ばかりかと思っていましたが、それは偏見で、今や女性でもどんどん利用しているようで、現に私の真上の客は、若い女性でした。(家族で来ているようでしたが)

いったい着替えとかどうするんだろうと思いつつ、とにかく風呂へ入りたかったので、大浴場へ。

ここは広々としたアルカリ性の天然温泉で、お湯に浸かると、まあ気持ちいいこと。

露天風呂もありましたが、雷が鳴って、おっかなかったので、室内だけにしました。

歯を磨いてベッドにつくと、なにか既視感みたいなものをもち、

(そうか、修学旅行とかで宿泊した時に2段ベッドがあったけど、あれか!)

と納得して、実はカプセルホテルも完全に新しい体験ではなかったのだと悟りつつ、でも違いは気が置けない仲間ではなく、見知らぬ人たちですから、急に誰かに襲われはしないかとビクビクしましたが、結局、あっという間に、ぐっすり眠りに落ちました。(続く)