根室本線5(新得~東鹿越:代行バス)
新得駅前のバス停に、13時58分発、東鹿越行きのバスが入ってきました。
運転士さんにお願いしてトランクルームを開けてもらい、キャリーバッグを入れて、車内へ。
行きの時とは違い、今度は外国人観光客も乗っていて、乗車率は30%といったところでした。
バスは国道38号線に出て、市街地を通ります。
今度は最初から最後まで寝ないようにと、気を引き締めて、よ~く目を凝らして外の景色を眺めます。
左手に鉄道の路盤が見え、はじめは石勝線かと思いましたが、それにしては木々が鬱蒼(うっそう)と生えており、なにより道路と交差する所に踏切の跡が残っていたことから、旧線だということが分かりました。
※路線図は、NPO法人「旧狩勝線を楽しむ会」の「旧狩勝線の近代化遺産」より引用
旧線(赤線)は、1907年9月から1966年9月まで使われていました。
路線がつづら折りのようになっていますが、狩勝峠を越えるのに勾配をかせぐ必要があったからです。
25‰(パーミル:1000m進むと25mの高さを上る)という急勾配や半径179mの急カーブが存在する難所で、「機関士泣かせ」と言われていたほどでした。
また、自然条件も厳しく、とりわけ1962年8月の台風9号による豪雨で、新内沢大築堤が路盤ごとごっそり流失するということが起きました。
当時は石勝線が開通しておらず、根室本線が貨物や特急列車などの輸送を担っていましたから、重要路線です。
およそ2万人の人員とブルドーザー343台を総動員して、昼夜兼行で工事を進めた結果、30日で復旧させてしまいました。
地形が厳しい山中のため、難工事でしたが、もの凄い努力を積み重ねたのだと想像されます。
(詳しい経緯については、http://ecotorocco.jp/railhistory/niinaisawa/)
このように、運転・気象条件がすこぶる悪かったため、1966年10月から新狩勝隧道(ずいどう)を含む新線(茶色の線)に切り替わりました。
旧線は廃止され、新線は2016年8月の台風10号による被災まで使われました。
現在は、国道38号を通るバス代行輸送になっていますが、実は旧線が国道に沿う形で建設されていたため、経路としては52年前に戻ったような感じです。
狩勝峠3合目あたりで国道から外れ、少し上った所でサホロリゾート前停留所に停車します。
目の前がホテルで、バックにスキー場が見えました。
「サホロ」という名前は、この近くの佐幌岳から取ったものだと思われます。
ホテル前の道路を国道へ真っ直ぐ下りた先に、旧線の新内駅がありました。
旧新内駅は、現在、SL広場になっていて、保線用軌道を再利用した「エコトロッコ」という自転車に乗ることができます。
旧新内駅が場所を変えて復活したようなものですね。
サホロリゾートを出発したバスは、再び国道に戻り、頂上に向けて標高を上げていきます。
車の往来は概して多いです。
洞門をくぐり、左手には広大で緑豊かな十勝平野が見えてきます。
旧線はだいぶ下の方を走っていたようで、ここと位置が違いますが、それでも元日本三大車窓の1つに数えられているだけあります。
新線はトンネルばかりのようですが、景色も52年前に戻ったような感じです。
(もちろん、私は旧線の景色を見たことがないが、きっとそうであるに違いない。)
そして、標高644mの頂上を過ぎると、あとは下っていきます。
新得駅からおよそ50分もかかりました。
続いて、幾寅駅が14時57分着。
観光客が3名ほどいました。
また、数名高校生が乗ってきました。
少し遅れて、15時10分前に東鹿越駅に到着。
運転士さんから、乗客が多いのでトランクルームは自分で開けるよう促され、開けて荷物を引っ張り出し、お礼を述べてホームへと向かいました。
折り返しのバスを利用する観光客も多く、とても無人駅とは思えない賑わいを見せていました。
新線区間が廃止されるとなると、寂しいものがありますが、一方で、あのような広大で緑豊かな景色を見せ、リゾートホテルなどにも寄れるというのは、良いものでもあります。
まるで旧線時代にタイムスリップしたかのように思えました。
また、新得駅で必然的に乗り換えることになりますから、駅構内の物産展や駅前の食堂とかにも立ち寄りやすくなりますね。
そんなことを考えながら、ホームに停車中の列車の方へ歩いていきました。(続く)