ゆき丸の鉄道日記

鉄道旅行や雑記を綴ります。

室蘭本線1(岩見沢~追分)

当ブログも、北海道編をはじめて18日目になりますが、旅行上ではまだ5日目なんですよね(笑)

9日間の旅行中は、確かに密度は濃かったけど、終わってみると、さして長くなかったなという印象でした。

それが、こうして書くとなると、次々と書くべきこと・書きたいことが出てきて、結局、1日の行程を3回、4回と分けなくてはならず、まるで鈍行列車のように、ちびちびと進んでいる状態です。

同時に、「北海道はでっかいどー」という手垢のつきまくった寒い駄洒落に象徴されるように、本当に北海道の広さ、多様さには驚くばかりです。

このペースだと、全行程を書き終わるまであと20日間くらいはかかりそうですが、筆力(体力)がないので、あくまで自分のペースでのんびり進めたいと思います。

そういうわけで、4日目に入りますが、これがまた、午前9時から夜の9時半にも及ぶ長丁場で、たぶん5回か6回に分けることになるでしょう。




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6月24日(日)、出発地は岩見沢駅。

まずは室蘭本線に乗ります。

室蘭本線は、岩見沢駅から長万部駅までを結ぶ211.0kmの本線と東室蘭駅から室蘭駅までの7.0kmを結ぶ支線で構成され、もともと沿線の炭鉱から採掘された石炭を苫小牧や室蘭へ輸送する目的で敷設されました。

今では、苫小牧駅から長万部駅までは特急スーパー北斗が通るなど、重要幹線に位置づけられ、東室蘭駅から室蘭駅までの支線は主に室蘭市内(一部札幌まで)の地域輸送を担っています。

一方、これから乗る岩見沢駅から苫小牧駅(正確には1つ手前の沼ノ端駅)までの区間は、特急列車の通らない純然たるローカル線で、これまた存廃問題が出ています。



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1番線に9時3分発、苫小牧行きの普通列車が1両で来ました。

若者を中心に乗客数は多かったです。

JR北海道ディーゼル車は、この白いボディに黄緑と薄い紫のラインが入ったものと、昨日の留萌本線のようなステンレス製のボディに朱いラインの入ったものが多いですね。





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列車は、しばらく函館本線と並走した後、左へと曲がり、畑や水田地帯を走ります。

私の住む富山では、苗が膝丈ぐらいまで伸びていましたが、北海道はまだ植えたばかりのようで、同じ日本でも緯度またはそれによる気候の違いが表れますね。

1つ目の志文駅は待合室を兼ねた簡素な駅舎を持つ変哲のない駅ですが、かつてここから万次線という炭鉱路線が万時炭山駅まで延びていました。(1985年廃止)

線路はもちろん撤去されていましたが、路盤は残っていて、東へとほぼ直角に曲がっていき、築堤の国道234号の下に車両が通れるほどのスペースがあることから、そこをくぐって行ったようです。




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栗丘駅を過ぎると、両側の丘陵が迫ってきて、夕張川がつくるやや狭い谷間を走ります。

トンネルを抜けると、谷が開けて町が姿を現し、栗山駅で多くの若者が降りていきました。





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追分付近まで来ると、なだらかな坂を持った広大な畑が見えてきます。

北海道らしい牧歌的な風景ですね。

9時49分、追分駅到着。


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室蘭本線と石勝線が乗り入れる交通の要衝で、特に駅舎の反対側は広いヤード跡があります。

この追分駅という名前は、全国に4ヵ所もあり、秋田県奥羽本線三重県四日市あすなろう鉄道滋賀県の京阪京津線と、当駅です。




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私はこのまま苫小牧駅まで行かず、いったん中断して降りました。

なぜかというと、この後、11時17分発の石勝線で夕張駅へ行くからで、それを済ませた後、再びここに戻って苫小牧駅まで行こうというわけです。

1時間20分もあるので、駅備え付けの地図を片手に、少し周辺を歩き回りたいと思います。



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さしあたり、反対側にある鉄道資料館を目指します。



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歩道橋からホームを眺めると、殺風景な敷地が広がっています。

かつては、石炭貨物列車の往来が盛んで、「機関区」という蒸気機関車ディーゼル機関車、貨車などが留置される車両基地でした。

きっと、往時はたくさんの職員がここに配置され、大げさに言うなら、日本の殖産興業のために日夜働いていたのだと推察されます。



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最も西寄りには線路が残っており、先にガレージが見えることから、おそらく鉄道資料館だと思われます。



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歩道橋の先は鹿公園で、明治35年(1902年)に日本最古の保健保安林の指定を受けました。

なぜこの辺りだけが保安林が残っているのか由来がはっきりしていないそうですが、コークス場(北海道炭礦鉄道追分骸炭製造所)の操業による保健保養だと言われています。

開発が進む中、森を未来へ残そうとする先人達の想いが表れています。

園内は遊歩道が整備されていて、つい中へ入りたくなりましたが、30℃近い暑さの中、キャリーバッグを引いて疲れていましたから、そのまま資料館へ向かいました。







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ところが、けしからぬことに、肝心の資料館は閉まっていました。

日曜日なのに、なぜなのだと独りごちりましたが、どうしようもない、外にさらされた車両たちを見ることにしました。


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「追分町鉄道のあゆみ」を見ていると、機関区は過去2回火災を起こしていますね。

しかも2回目の昭和51年(1976年)のは、蒸気機関車ディーゼル機関車を保存していた車庫が焼け、たくさんの車両を失ったそうです。

幸い、保存対象外だった数両は残り、そのうちSL1両がこの資料館に保存されているそうです。
(見れませんでしたが。)



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外壁の色が剥がれ落ちた客車と貨車です。

貨車はもちろん、客車も中へは入れません。

客車を外から覗くと、古びた洗面台があり、客室は4人がけボックス席が両側に並んでいました。

こういう客車がいくつも連結されて、仕事や買い物へ溢れるほど人が乗っていたのかなと想像します。



せっかくここまで来たのに、閉まっているという憂き目で余計疲れが出てきましたから、少し休もうと、向かい側のカフェに入ることにしました。

契約している農家さんから直送される野菜や果物を使ったメニューが並んでいて、さすがに夕張メロンの出荷は早く、それならとトマトジュースを頼みましたが、どうやら数が揃っていないからできない、生だったら出せるということでした。

それじゃあ、お店に入った意味はないだろうとガッカリしましたが、とにかく何かサッパリしたものを口に入れたかったので、それと、あとはロールケーキ、コーヒーを注文しました。




5分程待ち、出てきたのは大ぶりのトマトを湯剥きし、薄くくし切りしたものを環状にきれいに盛り付けされていて、食欲をそそられました。

塩を付けて食べると、トマトの爽やかな酸味と、しかしその奥にある甘さが身体中に染みわたって、トマトの底力を感じるほどこの暑さにピッタリな味でした。

トマトを育てた農家さんが来て、私が食事しているのを見ながら、「うちのトマトどうですか。」と感想を訊ねてきました。

「暑さにピッタリですね。疲れていたので、美味しいです。」と言うと、少し照れ臭そうに、

「(品種が)桃太郎なんですけどね~」と、謙遜していました。

たしかにブランド品でもないありふれたトマトでしたが、手作りのためか、身体にやさしい味で、素材の良さがストレートに伝わってきました。

それからフルーツたっぷりのロールケーキとコーヒーをいただき、一服したところで、カフェをあとにし、線路を越えて、駅へと戻りました。

2番線には、11時17分発の夕張行きディーゼル車がすでに停まっていました。(続く)