ゆき丸の鉄道日記

鉄道旅行や雑記を綴ります。

弘南鉄道大鰐線

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大鰐温泉駅(おおわにおんせんえき)に戻った私は、弘南鉄道の駅入り口前に集まっている女子高生たちの間を申し訳なさそうに通り抜け、そのまま跨線橋へと上がります。

JRと弘南鉄道では駅の入り口は別々で、しかも駅名もJRが大鰐温泉弘南鉄道が大鰐とそれぞれが独立しているのに、跨線橋は共用なんですね。

端の方まで進みます。



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今日最後に乗るのは17時30分発、中央弘前行きです。

弘南鉄道大鰐線は、大鰐駅中央弘前駅を結ぶ全長13.9kmの路線で、全線にわたってJR奥羽本線と並行しています。

ご多分に漏れず、乗客減により、廃線が検討されているそうです。

車両は元東急電鉄のもので、1963~64年製と55年も経っていますから、もうすぐ定年を迎えますね。

ホームへ下りると、この時間はもう切符の販売はしていないとのことで、中央弘前駅での精算となりそうです。




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車内はガラガラで、冷房が付いておらず、天井の扇風機がぐるぐる回っていました。

古い車両でも、豪雪地帯を走りますから、ドア横に押しボタンが備え付けられています。

湯の駅「ワニカム」で買ったリンゴジュースを飲むと、すっきりとした甘さが広がり、少し元気が出てきました。

発車前にちょぼちょぼとお客さんが乗り、10人ほど乗せて、大鰐駅をゆっくり出発。

スピードを出していないのに、ガタンと上下左右に大きく揺れますから、いかに線形が悪いかが分かります。




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さすが、りんごの生産量1位ということであって、沿線はどこもかしこも、りんご畑ばかりです。

枝から小さく青い実を付け、すくすくと順調に育っているみたいです。

でも実は、青森県でりんごの栽培が始まったのは、1875年(明治8年)とそれほど古くなく、内務省から西洋りんごを紹介されたのが始まりだそうです。

その後、幾たびの害虫や疫病、あるいは豪雪などで生産危機に見舞われたり、逆に生産過剰による価格暴落と不安定な出来事に遭遇しながらも、品種改良や販路拡大など、さまざまな工夫と努力をし、ここまで実を結んだのです。

たしか昨年は台風が津軽地方を直撃して、一部落果したそうですが、今年はそれがないといいですね。



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石川駅の先、石川陸橋でJR奥羽本線を越えますが、大鰐線に柵がなく、しかも揺れるので、スリルはありますが、脱線して落下しないか不安になります。

義塾高校前駅で、下校する高校生たちがたくさん乗ってきました。




次の津軽大沢駅で反対列車と交換待ちをしました。

ここは大鰐線車両基地があって、何両か留置されていました。




大鰐線沿線は、両端の駅を除いて、これといった観光地がなく、正直パッとしない路線ですが、先ほどの義塾高校前をはじめ、聖愛中高前、弘前学院大前、弘高下と学校名の付く駅が多く、したがって、学生の利用が多いです。

車両はほとんど老年期ですが、車内は非常に若々しく、やはり地元の人達になくてはならない路線だと思いました。

17時58分、終点の中央弘前駅に到着。


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改札口で430円の精算金を支払い、外へ出ます。


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駅舎もだいぶ古く、駅名標がなければ、ちょっとした雑貨店と間違えそうです。

駅名に「中央」と冠するのは、地方の私鉄では時々見られ、どうもJRとの対抗意識が垣間見れます。



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少し離れた所から駅舎を見ると、駅前は工事中の更地で、バスターミナルがなく、建物が密集して周囲と同化しているため、とても鉄道の駅には見えず、これは地元の人でないと初見では分かりません。




さて、今晩泊まるホテルがJR弘前駅前にあるため、ここから1.3kmほど歩く必要があります。

幸い、雨は降っていなかったので、濡れる心配はありません。

スマホを取り出し、地図アプリを使いますが、これがまた現在地が厄介な所で、目印となる建物や道路がなかなか見当たりませんから、少し迷いました。

イトーヨーカドー」の建物が見えると、ようやく弘前駅前に来たなと安堵し、18時20分、暗くなる前に無事、ホテルに着きました。



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大鰐線にはじめて乗る場合、中央弘前駅からより大鰐駅からの方が分かりやすいですね。

これで今日の日程はすべて消化できました。

明日は五能線津軽鉄道で、五能線は10年ぶり、津軽鉄道は初めての乗車ですから、非常に楽しみにしていました。

それでテレビを付けると、ちょうど天気予報が放送されていたのですが、どうも雲行きが怪しいことを言い出した。

「明日、北日本日本海側は大雨・雷・暴風に警戒してください。」(続く)