夙川駅(しゅくがわえき)に戻った私は、ちょうど梅田行きの特急が来たので、これに乗り、次の
西宮北口駅で
普通列車に乗り継ぎます。
これで
神戸本線の未乗
区間は乗り終えましたが、特急という速達列車のためか、あっという間で、あまり印象に残りませんでした。
もともと、
神戸本線を伊丹地区に通す予定だったのですが、阪急創業者である
小林一三の意向により、
塚口・西宮というより短い経路で敷設され、その代替として、1920年(大正9年)に
伊丹線ができました。
伊丹線はすぐに北へと進路を変えますが、相当にきついカーブですね。
(半径〇〇mとは、曲線の曲がり具合いを示す値で、この値が小さいほど急カーブです。ちなみに直線は∞。)
それを、たくさんの立ち客がいるほど乗せた4両編成の電車は、時速15kmという自転車並みの速度で、慎重に進みます。
しかし、あとは住宅街ばかりを走り、わずか6分の乗車で、高架駅の
伊丹駅に到着。
駅の中に銀行や塾、ファストフード店、コンビニ、100円ショップなど様々なテナントが入っています。
(写真での)駅の左にはスーパーなどもあって、買い物には便利ですね。
さらに駅の先には商店街が延びています。
マンションも林立して、JR
福知山線の
伊丹駅より規模が大きい気がします。
(実際はJR
伊丹駅も再開発が進んで賑わっているそうですが。)
そのJR
伊丹駅とはおよそ700m離れているにもかかわらず、同じ「
伊丹駅」ですから、紛らわしいですね。
そういえば、
塚口駅もJR
福知山線と同一駅名なのに、やはり800mほど離れており、こういうのは初見の人を惑わしますから、せめて阪急側の駅に「阪急」と冠してほしいなと思います。
時刻はもうすぐ16時を回るのに、強い日差しが容赦なく照りつけ、
アスファルトが見るからに焼けているようで、すぐに駅へと戻りました。
始発駅にもかかわらず、全ての席が塞がるほどの乗車率でした。
塚口駅で
神戸本線に乗り換えれば、すぐに梅田や三宮に行けてしまうからかもしれません。
次に乗るのは
今津線で、
宝塚駅と今津駅間を9.3kmで結んでいます。
しかし、それは西北駅から
宝塚駅までの(北線の)話で、これから私が乗るのは、その舞台から外された西北駅から今津駅までの(南線)1.6kmの
区間です。
(まったく取り上げられていないというのではありませんが、雀の涙ほど)
哀れなことに、
今津線はこの西北駅で南北に分断され、北線は
神戸本線と同じ地上ホームなのに、南線だけが2階の高架ホームで、いよいよ存在感の薄い路線になってきたように思います。
もともと、
今津線は西北駅で
神戸本線と地上で交差(ダイヤモンドクロス)する構造になっていたのですが、やがて
神戸本線の10両化に伴い、1984年に解消されました。。
かくして、
今津線は当駅を境に分断されることになり、もはや別路線と言っていい状況になりました。
3両編成の車内は、意外にもたくさんの乗客が次々と乗り込んで、ついに対面の窓が見えなくなるぐらいに塞がりました。
西北駅を出発すると、
神戸本線との連絡線が上がって、複線へとなります。
阪急なのに、他社の
阪神を冠するとは、これいかに?と思われますが、これは
阪神電気鉄道とは関係ありません。
その直下を走る国道2号線の通称が「
阪神国道」で、もともと
阪神とは大阪と神戸、およびその中間地帯を指す言葉なのです。
そういうわけで、阪急側としてはべつに
阪神と付いても、そもそもが「
阪神国道」で一つの用語なのですから、問題ないというわけなのです。
もっとも、阪急の前身が「
阪神急行電鉄」で、
阪神国道駅もこの時に開業した駅ですから、
阪神と冠しても当時はそれでよかったのでしょうが、社名が阪急に変わった今、やっぱり紛らわしいですね。。。
そのまま高架を走り、
阪神本線との乗り換え駅である今津駅に、16時18分到着。
これで阪急は完乗しました。
が、大量の乗客に押され、流れのまにまに進まされました。
時間があれば、
近鉄信貴線にも足を延ばしたかったのですが、今日はこれで打ち切ります。
この後、大阪
中之島で経済学
セミナーに参加するためで、あと2時間しかないからです。
阪神本線の特急で梅田まで行き、時間がかなり余りそうなので、
大阪環状線の内回りの電車で西九条、
天王寺、鶴橋など、ぐるりと遠回りして京橋へ行きました。
そんな乗り方は許されるのかと思いますが、私が所持しているきっぷは、
金沢駅を発着する「関西往復フリーきっぷ」というもので、これは関西地方のフリーエリア内であれば4日間乗り降り自由なのです。
したがって、フリーエリア内に入る
大阪環状線も梅田から京橋までなら本来4.2kmしかないのを、その4倍の17.5kmをおよそ40分もかけて遊んでも、規則に抵触することにはならないのです。
地上へ上がると、道路が濡れていて、夕立があったのでしょう。
薄暗い中、目指すビルを見つけ、10階に上がりました。
セミナーの参加者は、私を除き、40歳以上のおじさん達で埋め尽くされていました。(続く)