ゆき丸の鉄道日記

鉄道旅行や雑記を綴ります。

南海高野線2(橋本~極楽橋)

和歌山県橋本市は、古くから京から高野山へ至る高野街道の宿場町として栄え、天正13年(1587年)には、高野山の応其(おうご)という僧が豊臣秀吉から領地をもらい、まちを開いたことから始まります。

応其は旅人の便宜を図るため、紀ノ川に約235mの橋を架け、これが「橋本」の由来として伝えられています。

結局、この橋は数年で流失してしまうという憂き目に遭いますが、その後も江戸時代には、高野街道大和街道が交差する交通の要衝として、地方物産の集積地となっていきます。

特産品は、へら竿、パイル織物(ぬいぐるみなどの羽毛生地)、柿などです。





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その橋本市の中心駅、橋本駅から南海高野線、9時16分発極楽橋行きの普通列車に乗車します。

この車両は1両の長さが17mと、他の南海車両(20m)に比べて短く、「ズームカー」と呼ばれています。

なぜ「ズームカー」なのかは、はっきりとした理由はわかりません。

この先、半径100mをはじめとする急カーブが連続し、それに対応するため、車長が短くなったのです。

座席は向きを変えられる「転換クロスシート」で、まさに観光向けと言っていいでしょう。




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橋本駅を出発すると、和歌山線の線路をくぐり、紀ノ川を渡ります。

応其が架けた橋はないけど、市内には現在4本、鉄道ではここ1本が架かっています。





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九度山駅までは紀ノ川の南岸に沿って西進してきましたが、ここから向きを南へ変えて、いよいよ登山区間に入ります。

同時に、乗客も地元民が減り、観光客と私の前に座っている作業服を着たおっさんとなりました。




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民家が山にへばりつくように立っています。

深く切り立った谷を通り、高野線は減速を余儀なくされます。

前のおっさんが紀伊細川駅で降りて行きました。

このあたりは何もない山の中で、ホームにもう1人作業服を着た人がいましたから、保線区の人なのでしょう。

昨年の平成29年(2017年)10月に台風21号の影響で、上古沢駅構内の道床が崩れ、2018年3月までおよそ5か月間も不通が続きましたから、保線には念入りに行うと思われます。




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紀伊細川駅から先は、国道370号線とも離れ、孤立度をさらに深めます。

人家がなく、白い煙に包まれた山深く幽邃(ゆうすい)な所を、右へ左へとくねらせながら登っていきます。

車窓はトンネルと森の中が交互に繰り返される感じで、時おり、写真のような視界が開けることもあります。

これを見ていると、まるで俗世間から異世界へと連れられているかのようです。

そもそも終着駅が「極楽橋」という名前からして、この世とあの世の境界を想像させます。

南海電鉄では利用者が最も少ない紀伊神谷駅という秘境駅を過ぎ、不動川に沿う形で進むと、赤い橋「極楽橋」が見え、9時56分、終点、極楽橋駅にゆっくりと到着。




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標高は538mで、山奥にひっそりたたずむ駅です。

私の完乗目標はJR・私鉄線優先のため、ここで折り返しても良かったのですが、目と鼻の先に高野山ケーブルカー、さらにその先には世界遺産高野山が控えていますから、帰りの時間そっちのけで行ってきます。(続く)