ゆき丸の鉄道日記

鉄道旅行や雑記を綴ります。

近鉄信貴線、西信貴ケーブル

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※路線図は、近畿日本鉄道ホームページより引用   http://www.kintetsu.co.jp/railway/rosen/A50004.html

河内山本駅から、16時56分発、近鉄信貴線信貴山口行きに乗車します。

信貴線(しぎせん)は河内山本駅信貴山口駅を結ぶ全長2.8kmの短い支線です。

終点の信貴山口駅で、西信貴鋼索線西信貴ケーブル)に接続し、信貴山朝護孫子寺へとつながっています。

しかし、それを抜かせば、やはり生活路線であり、かつ大阪への通勤路線としての役割です。




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電車は、しばらく住宅街を走り、服部川を過ぎると山手の方へと上って行きます。

40‰(パーミル)という急勾配で、これは近鉄全線の中で最も急な坂です。

右へと回り込むにつれ、遠くに大阪の街が見えます。

お洒落な住宅街の中、17時1分、信貴山口駅着。


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ホームはL字型となっていて、信貴線のホームを左に曲がると、階段状である西信貴ケーブルのホームがあります。

地元客はみんな改札口へと抜けてしまい、ケーブルカーの乗車は私1人だけです。




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せっかく「貸し切り状態」の車内ですから、先頭席に座ります。

隣が乗務員で、少し気まずい雰囲気ですが、7分間の辛抱です。





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17時5分に出発した列車は、2つの踏切を渡ります。

ケーブルカーに踏切が設置してあるのは全国的に珍しく、ほかにあるのは生駒鋼索線生駒ケーブル)だけです。



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反対列車とすれ違います。




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トンネルを抜けると、高安山駅が見えてきます。

17時12分、高安山駅に到着。



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駅前に信貴山門行きのバスが停まっていましたが、私はこれには乗らず、バスを見送りました。

1944年(昭和19年)まで、ここに鉄道が通っており、車両もわざわざここまで運んだそうです。




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展望台からは、大阪の街を一望できます。

高層ビル群が「バベルの塔」のごとく、次々と建っているかのようです。

旧約聖書「創世記」』に出てくるあの話は、同じ言葉で話す民を見た神が、「これでは彼らが何を企てても、妨げることができない」という理由で、民を各地に散らせ、言葉もバラバラにしたとありますが、多様性こそが暴走をストップさせるのでしょうね。

ここから見える高層ビル群もなんだか「ミニ東京」化して、いつか神(または自然の摂理?)によって民が各地へと散らされ、ビルの建設も止める日が来るのでしょうか。

もっとも、私としては、大阪より東京の一極集中化をなんとかしてほしいと思いますが。




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わずかな晴れ間から陽が差し込んで、まぶしいですが、風が吹けばおもちゃの風車がカラカラカラと回って、涼しく感ぜられました。

しばし穏やかな陽気ですが、あの灰色の雲群を見ると、嵐の前の静けさを予感させます。




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およそ20分の滞在の後、ケーブルカーで下ります。

また先頭席に座り、同じく隣に乗務員の2人っきりで、気まずさがさらに倍加しました。



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帰りは大阪の街並みを見ながら下り、これも宜しい景色だと思いました。



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信貴山口駅で17時50分発の信貴線に乗ります。

これで今旅行の未乗線はすべて消化できました。

乗りつぶし帳を開き、未乗線を赤鉛筆で塗りつぶすと、ケーブルカーや嵯峨野トロッコに空白があるのはちと気になりましたが、定期営業する私鉄線は完乗したので、満足です。

大阪駅17時42分発の特急サンダーバード37号に乗れなかったのはやむを得ないですが、その1時間後の18時42分ので帰れば、今日中に家に着くでしょう。

なんとかギリギリでその特急に乗ることができ、安心しきっていました。







・・・ところが!

午後8時前、新疋田駅を過ぎたあたりで突然停まり、いったい何事かと思っていると、シカと衝突したとのこと。

しかも、強力な電気が流れる「エアセクション」という所で停止したため、パンタグラフを下げ、車内が薄暗くなってしまいました。


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まるで夜行列車のような懐かしい雰囲気ですが、しかし、冷房は付かず、トイレも流れませんから、実際は苦痛な時間が続きました。

それでも運転士が懐中電灯を持って、9両すべての車体をチェックし、車掌は乗客を不安にさせまいと、10~15分おきに現状をつぶさに放送で伝えてくれました。

結局、安全確認が取れたのが50分後で、次の敦賀駅まで徐行運転を行い、午後9時過ぎに敦賀駅で着くと、また車両点検を始めました。

このため、金沢駅には1時間遅れの午後10時過ぎに着き、IRいしかわ鉄道・あいの風とやま鉄道で富山駅までは行けますが、その先はもうないため、在来線に乗れなくなりました。

現金も雀の涙ほどしかないため、クレジットカードで新幹線の乗車券と特急券を買う羽目になりました。

最寄り駅に着くと、こんどは待ってましたとばかりの大雨が迎えてくれて、40分も足止めされました。

家に着くと、もう日付が7月5日(木)となり、さらに翌日以降、『旧約聖書「創世記」』の「ノアの箱舟」を思い起こさせるような、「西日本豪雨」が襲いました。(終わり)