近鉄信貴線、西信貴ケーブル
しかし、それを抜かせば、やはり生活路線であり、かつ大阪への通勤路線としての役割です。
電車は、しばらく住宅街を走り、服部川を過ぎると山手の方へと上って行きます。
右へと回り込むにつれ、遠くに大阪の街が見えます。
お洒落な住宅街の中、17時1分、信貴山口駅着。
地元客はみんな改札口へと抜けてしまい、ケーブルカーの乗車は私1人だけです。
せっかく「貸し切り状態」の車内ですから、先頭席に座ります。
隣が乗務員で、少し気まずい雰囲気ですが、7分間の辛抱です。
17時5分に出発した列車は、2つの踏切を渡ります。
17時12分、高安山駅に到着。
駅前に信貴山門行きのバスが停まっていましたが、私はこれには乗らず、バスを見送りました。
1944年(昭和19年)まで、ここに鉄道が通っており、車両もわざわざここまで運んだそうです。
高層ビル群が「バベルの塔」のごとく、次々と建っているかのようです。
『旧約聖書「創世記」』に出てくるあの話は、同じ言葉で話す民を見た神が、「これでは彼らが何を企てても、妨げることができない」という理由で、民を各地に散らせ、言葉もバラバラにしたとありますが、多様性こそが暴走をストップさせるのでしょうね。
ここから見える高層ビル群もなんだか「ミニ東京」化して、いつか神(または自然の摂理?)によって民が各地へと散らされ、ビルの建設も止める日が来るのでしょうか。
もっとも、私としては、大阪より東京の一極集中化をなんとかしてほしいと思いますが。
わずかな晴れ間から陽が差し込んで、まぶしいですが、風が吹けばおもちゃの風車がカラカラカラと回って、涼しく感ぜられました。
しばし穏やかな陽気ですが、あの灰色の雲群を見ると、嵐の前の静けさを予感させます。
およそ20分の滞在の後、ケーブルカーで下ります。
また先頭席に座り、同じく隣に乗務員の2人っきりで、気まずさがさらに倍加しました。
帰りは大阪の街並みを見ながら下り、これも宜しい景色だと思いました。
これで今旅行の未乗線はすべて消化できました。
なんとかギリギリでその特急に乗ることができ、安心しきっていました。
・・・ところが!
午後8時前、新疋田駅を過ぎたあたりで突然停まり、いったい何事かと思っていると、シカと衝突したとのこと。
しかも、強力な電気が流れる「エアセクション」という所で停止したため、パンタグラフを下げ、車内が薄暗くなってしまいました。
まるで夜行列車のような懐かしい雰囲気ですが、しかし、冷房は付かず、トイレも流れませんから、実際は苦痛な時間が続きました。
それでも運転士が懐中電灯を持って、9両すべての車体をチェックし、車掌は乗客を不安にさせまいと、10~15分おきに現状をつぶさに放送で伝えてくれました。
現金も雀の涙ほどしかないため、クレジットカードで新幹線の乗車券と特急券を買う羽目になりました。
最寄り駅に着くと、こんどは待ってましたとばかりの大雨が迎えてくれて、40分も足止めされました。