ゆき丸の鉄道日記

鉄道旅行や雑記を綴ります。

合気道部合宿の思い出

大井川鐡道大井川本線千頭駅を出て、午後6時半、民宿に到着しました。



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風呂と大量の食事を済ませ、ゴロンと横になっていると、宿の雰囲気が学生時代に打ち込んだ合気道部の合宿所に似ていて、ふと、そのことを思い出しました。




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ずいぶん前のことですが、その合宿とは、年に2回、夏と春に行われ、夏は長野の里山の合宿所で7泊8日にわたって、稽古に励むものでした。

特急列車と宿の車で4時間かけて着き、昼食をとった後、裏山の少し上った林の入り口に、倉庫のような道場で稽古が始まります。

1発目は1時間正座というもので、文字通り1時間ずっと正座するだけです。

これがなかなかの苦行で、15分ぐらいから足がしびれ始め、30分経つと足の感覚がなくなって上体も前のめりになります。

座ること以外何もすることがなく、空想に耽るよう努めますが、足のしびれがそうさせてくれず、ひたすら時間が過ぎていくのを待ちわびました。

だいたい体を前後に揺らしたりして、延命を図ろうとしますが、中にはなぜか両手を挙げて「主よ、我を救い給え」と言わんばかりのポーズをする人もいて、その様子を見た周りが吹き出しそうになることもありました。

退屈と足のしびれの苦しみを経て終わった時は、しばらく立つことがままならず、みんな足を延ばしてしびれを取ろうとしていました。

しかし、そうゆっくりと休憩時間は与えられず、すぐに技の稽古に入るため、結局、足のしびれは取れないままとなりました。

とくに合気道では座ったまま技をかけるものもあって、こういう技の練習が来たときは、メニューを考えた先輩に恨みをもちながらも、必死で食らいつきました。

一方で、畳がまた大学の道場より数段も固い、家に敷かれてるようなもので、最初はどうにか耐えられるにしても、日が経つにつれて、背中や尾てい骨、膝、足が痛くなってきます。

気が付かぬうちに血を流しているのはざらで、稽古中や終了後にせっせとテーピングすることになりました。

だから、畳には数多くの血糊が付き、歴代の先輩方の苦しみと痛みをまざまざと見せつけられたような思いでした。







稽古が終わると、下級生(とくに1年生)は速やかにあてがわれた仕事につきます。

主に3つあって、まずは下足。

これは道場の入り口や宿の玄関、食堂の前で先生方や先輩が脱いだ履物をきれいに並べます。

それと、風呂場の湯加減を確かめ、必要に応じて温度調節したり、桶に湯を入れておきます。

桶に湯を入れるはずなのに、湯の中に桶をありったけ入れて、ぷかぷか浮かべるという珍プレーをした人もいました。


2つ目が先生方・先輩方の道着下げで、稽古終了後、道着をもらって洗濯にかけて干し、翌日、完全に乾いた状態で渡します。

雨の日はなかなか乾かず、そのままでは失礼になるので、ドライヤーで乾かして凌ぐこともあります。


3つ目は食事の配膳で、先生方やOB・OGにご飯、汁物、湯茶を食事の直前に供します。

この時、膝行(しっこう)で前に出て、渡すというふうにします。


これらは日ごとにローテーションで振り分けられます。

その他に、男子限定で三助というのもあって、これは風呂場で先生方の背中を流すというものです。

三助だけは先輩が決めるのではなく、先生方から直々の御指名で受けることになります。

背中を流すと言っても、さすがに本当に流すのではなく、一緒に風呂に入るだけの形式的なもので、あとはお話を聞くというものでした。

私の同輩でこれをした時、腰にタオルを巻き、脱衣所で正座した状態で待っていて、それを見た先生方が驚いて、あとで伝説の語り草になりました。






下級生にはずいぶん苦労させ、上下関係の厳しい風習が残っていると思うかもしれませんが、上級生は上級生で、事前に合宿所の日程を押さえたり、きっぷの手配をしたり、先生方・OBOGへ日程の連絡をしたりと事前の準備をきっちり行います。

合宿中も稽古のメニューを決めたり、仕事を後輩に教えたり、大けがをさせぬよう後輩の様子を見ながら稽古を進めたりと、責任があって、なかなか気を遣うのです。






食事は指定された時間に食堂に集まって、全員一緒に食べます。

稽古でさんざん膝を酷使したのに、食事中もまた正座ですから、痛みで食事に集中できないわけです。

ご飯や汁物のおかわりの時だけ立って移動できますから、これを「エスケープ」と称して、私のようなしびれから逃れたい食い意地のはった人は、しょっちゅうこれを行使して足の痛みからなんとか逃れようとしました。
(しかし、あとで先輩から「やり過ぎだ」と叱られるオチですが。)

冬は静岡県の伊豆の合宿所で、食事量がさらに多く、全部食べ切るのに難儀しました。

表向きはお残し厳禁ですが、我が合気道部のメンバーは華奢(きゃしゃ)な人が多く、中には田園調布に住むお嬢様のような人もいて、ことごとく残すこととなりました。

それでもやはり残すのは宿の方に失礼なので、どうするかというと、食い意地のはった私のような人に分けて、食べきってもらうのです。

こうして残食をできるだけ減らすよう、あれこれ工夫するのです。






そんなことが6日続いた午後、先生方が帰られたことをいいことに、中日(なかび)が始まります。

先生方も黙認していますが、とにかくこの空白時間だけは自由にでき、先輩・後輩関係なく皆羽を伸ばして思い思いに過ごします。

部屋で布団にくるまってひたすら眠ったり、家から持ってきたゲームで遊んだり、散歩したり、宿の人にお願いして観光地に行ったり、近くの広場で野球したり・・・と、これまでの疲れを取って、気持ちよく次の日を迎えます。





7日目の午後稽古が「回し稽古」といって、まず先輩が後輩を好きなだけ投げ、次に後輩が先輩を投げるというものです。

体力勝負で、先輩からの投げは後輩の様子を見て加減されますが、後輩からは長い時間にわたって続き、200回連続で投げることもあります。

その夜は宴会で、外でのバーベキューや酒盛りが始まります。

成人に届いていない人は酒を飲めませんが、無礼講でそれまでの苦労話とかで盛り上がり、賑々しくなります。

ある程度時間が経つと、外で花火を楽しんだり、先輩の部屋で恋バナを咲かせたりと、学生らしい夜を過ごします。

酒に酔った先輩が素っ裸になって後輩の部屋を襲い、寝ていた私の同輩を起こして、目が覚めた顔の前に一物を見せたりして驚かせたりと、愉快な夜になったこともありました。






現役部員がこういう苦しみながらも愉快な日々を送る一方で、先生方やOBOGはどうなのかというと、実はこちらもこちらで愉快な時が来ます。

そもそも先生方は社会人ですから日々忙しく、現役みたいに長い期間にわたって稽古に参加することができません。

したがって、1泊2日となります。

師範だけは2泊3日ですが、これは現役から見ればつまり、先生方が来るまでは礼儀作法や仕事の練習という形になります。

それで午後の稽古で汗を流し、風呂も一番最初に入って(だから1年生が最後)、現役とともに夕食をとり、ミーティングが済んだ後が、お楽しみタイムです。

参加者は部長顧問、師範、監督、OBOGで、夏は懇意にしている宿の方も交えて晩酌を交わし、地元産のおつまみを食べながら盛り上がります。

お酒が進むと、次第に日ごろ思ってることを口に出しはじめ、ついに周りを唖然とさせることもあります。

なんにしてもビールや日本酒、焼酎をガバガバ飲んで語り明かし、夜中の1時過ぎにお開きとなります。

そういう飲み会をしているものですから、翌日、午前6時に始まる早朝稽古は皆してアルコールが抜けておらず、中には起きられずに不参加というOBOGもいるほどでした。

この事情は現役も十分に知っていますが、何しろ卒部したほどの先輩で、しかも自分たちも卒部して社会人になってからも合宿に参加すれば、このお楽しみタイムに恵まれるというわけで、文句を言う人は誰もいませんでした。







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学生時代のクラブ活動の思い出が次々と甦り、今思い返しても、上下関係はあったにせよ、なんとも緩い面もあったな~と思います。

昔に比べれば、厳しさも激しさもなくなったけれど、私としてはそういう苦しくも愉快な雰囲気の中で続けられましたから、幸せなことだと感じます。

私以外誰も宿泊客のいない静かな夜、床に入ってそんな思い出に浸ったりしていました。(続く)