ゆき丸の鉄道日記

鉄道旅行や雑記を綴ります。

日帰り立山登山2

午前9時、室堂の気温は8℃。

まだ10月ですが、やはり標高2000m級では冬のような寒さです。

いくら近所旅行とはいえ、これから3000mの山に登るわけですから、当然、服装もそれに合わせる必要があります。

私は帽子に、薄いジャンパーを羽織り、登山用の靴を履いています。

この日は快晴でしたから、本当は日焼け止めクリームも予め塗っておく必要がありましたが、間に合わず。。。

それと、リュックにはタオル、飲み物(ペットボトル2本)、おにぎり3つ、サンドウィッチ、カロリーメイトを中に入れていました。

傘とかっぱは、天気が急変する心配はなさそうでしたから(午後3時までには帰ってくる)、まあ必要ないでしょう。

ずいぶん山を甘く見てる軽装っぷりですが、山登りなので、室堂ターミナルでは登山届も提出することになります。

名前、住所、連絡先、緊急連絡先、そして登山ルートを記入します。

登山ルートの欄には、「室堂 → 一の越 → 雄山 → 一の越 → 室堂」と書き、係員に渡すと、

「あー、雄山の往復ね。どうぞ。」

と、あっさり許可が下りました。

雄山までは基本的に一本道で、しかも好天気ですから、特段注意することもなかったのでしょう。

一方、剱岳に登る場合は様子が違い、「20cmほどのクレバスができているので、気を付けてください。」と登山者に注意を促していました。

剱岳は雄山より標高が4mほど低いですが、一般登山者が登る中では最も難しく、かつ危険度の高い山です。








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立山山岳信仰として崇められ、そのためか「弥陀ヶ原」、「天狗平」、「地獄谷」、「みくりが池」など、仏教用語が並んでいます。

また、江戸時代から旧越中国の村では、男子は15歳、16歳になると、成人儀礼として、集団で立山を登るという風習があり、これを成し遂げて一人前と認められたそうです。

この風習は、現在では県内の大半の小学校で、主に5,6年生を中心に夏の宿泊学習という形で組み込まれています。

原則、登ることになりますから、断るという選択肢がなく、登山の苦手な子供にとっては気の毒ですが、さすがに高山病にかかってしまうなど、体調不良の場合は別途で対応します。

外に出れば、まぶしいぐらいの陽が差し込んできました。

9時10分、室堂ターミナルを出発です。





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石畳の登山道を歩きます。

この状態が途中の一の越まで続きます。





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左手の室堂山荘を見て、そこから登山道は山の斜面上に、上下左右に続きます。

この登山道は7月末になっても雪が残っていて、ところどころ雪渓と呼ばれる地帯があり、滑らないよう足をしっかり踏みしめたり、回り道をしたりします。

だから、いちばん雪が少なく、登りやすいのは9月から10月にかけてだと思われます。






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高山植物であるチングルマは紅く染まり、綿が開いています。






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室堂を出発して30分、情けないことに、もう息が切れてきました。

空気が薄いということもあるでしょうし、石畳だから足の負担も地味に来るというのもあるでしょう。

私は雄山にはこれまで2回登ったことがあるのですが、2回とも子どもたちと一緒に登りました。

自分が登れるのは当たり前で、子どもの面倒も見なければいけませんから、体力や注意力は1.5倍使ったと思います。

そういう経験をしてきたわけですから、今度はそれがないぶん、楽だろうと思っていた自分が浅はかでした。

考えてみれば、あの時は子供の面倒を見なければいけない代わりに、よくしゃべっていましたから、それが気持ちを楽にさせたのかもしれません。

独りでは誰とも会話することなく、もちろん弱音を吐くこともできなくなりますから、苦しさを自分の中にため込んでしまうのでしょう。

そう思うと、山登りは1人より複数でおしゃべりをしながらの方が、楽しく楽に登れるのかもしれません。

逆に言えば、1人で挑む登山家とかは並外れた精神力を持っているんだなと感心しました。





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一の越手前が最もきつい坂で、ゼーゼー言いながら登ります。

ヘリコプターが各地点の荷物を運搬しているらしく、一の越にも下降しては荷物の受け渡しを行っているみたいでした。





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室堂からおよそ50分、標高およそ2700mの一の越に着きました。

山荘に入って、サンドウィッチとおにぎり2つを食べます。

下山している人もたくさんいて、御来光を見に登ったのでしょうか。

30分ほど休憩して、雄山登山の後半戦です。(続く)