予讃線(北宇和島~松山)
列車は険しい山間部をくねくね走らせ、伊予吉田駅手前では吉田港が見えてきます。
すぐにまた山の中へと入り込み、トンネルを抜けて西予市へと入ります。
川幅の狭い肱川(宇和川)を渡ります。
この肱川はまことに変わったルートを辿り、鳥坂峠からまず南下して西予盆地の南端で東へ曲がり、その後西予市野村町で北向きに変え、だんだん西向きになって大洲市に出て市街地を北上し、再び山間部を抜けて伊予灘(瀬戸内海)に注ぎます。
極端に言えば、逆6の字型というわけです。
被害が大きかったため、復旧がJR四国管内で最も遅く、9月13日(木)に運転再開を果たしました。
緑や少し黄色が付いたミカンも見られますが、稲作地帯が多いですね。
斜めに倒れた稲穂が、度重なる災害級の天候を乗り越えてきた証のように思えます。
そして、この広大な地になぜか象の像が鎮座していたのですが、案山子と同じ役割を担っているのでしょうか。
山中にある双岩駅です。
枕木がピカピカの新しい物が埋め込まれています。
さらに山あいを進み、16時26分、八幡浜駅に着きました。
特急列車との待ち合わせのため、およそ20分も停車します。
その間、私はトイレを済ませることにしました。
実は、予土線の江川崎駅から催し始めていたのですが、そこでは先客が居てできず、車内はトイレの設備が付いていませんでした。
ようやく叶って車内に戻ってみると、黒い制服を着た体つきのいい男子高校生たちで埋め尽くされていました。
席は確保できましたが、隣にやはり男子高校生のグループが座ってきて、もぐもぐと菓子を食べ始めました。
「お前、ここでししゃも食べたのか?」
「めっちゃ臭い!」
と、談笑していましたが、私からすればししゃもより、裂きイカの臭いがきつかったです。
それと、高校生たちの靴を見ると、なぜか揃いも揃って白を履いており、学校の校則で決められているのでしょうか。
そして、ぐるりと回って支流を集めた肱川を渡ります。
写真には写っていませんが、反対方向には5段以上積み上がった黒い土嚢(どのう)がズラーっと横に並んでいました。
水量は少なく、ゆるやかな流れとなっています。
17時10分前に伊予大洲駅に着き、車内にいた高校生のうちの半数以上が降りて行きました。
この先、海沿いを走る旧線と山中を貫く新線に分かれますが、この列車は海沿いを通ります。
河口付近で急に右へと曲がり、伊予長浜駅から海辺を走ります。
雲の切れ目から夕日がのぞき、真紅に染まった帯状の空が見られました。
中には一番後ろの所まで移動し、後面展望から写真を撮っている人もいて、その様子につられた人が次々と同じ行動に出て、とうとう私もその1人になってしまいました。
曇天ばかりの暗い車窓に、わずかな光を差してくれたと思います。
束の間の夕景も終わり、すっかり闇夜になった中、列車はトコトコ進み、18時30分、松山駅に到着です。
3日目(10月11日)の旅程はここまでです。
路面電車に乗って、繁華街「大街道」の近くのホテルに泊まりました。
ちなみにホテルの夕食は、その名も「坊ちゃん懐石」で、教員を辞めた自分にふさわしい名前ですが、写真に出ているのはその一部です。
展望風呂も付き、もちろん朝食も入って、9000円を超えないのですから、やはり平日の宿泊はお得です。
しかし、こんな豪華な料理でも独りで食べているうちに、「鉄道完乗」なんて自分のやっていることの稚拙さが思い返され、また普通の社会生活を送れない自分を見る気がして、虚しさが募ってくるようになりました。(続く)