伊予鉄道横河原線、高浜線
3番線に2両編成の電車が居たから、うっかり地下道を通ってしまいましたが、これは郡中線だということに気付き、慌てて1番線に引き返しました。
9時21分発、横河原行きの電車になんとか滑りこむことができました。
肝が冷えましたが、こんなギリギリになってしまったのも、路面電車は本数が多いという思い込みと、事前に時刻を調べなかったという詰めの甘さから来るもので、今後はどんな路線でも下調べはしておこうと思う。
それと、横河原線に乗れて安心というのではなく、事故とかで遅れたりしたらやはりアウトなので、まだ気を緩めるわけにはいきません。
9時51分に終着、横河原駅で、9時59分に折り返します。
改札を出て、すぐに自動券売機の前に立ち、こんどはフェリーが発着する松山観光港までを買います。
ちなみに、この車両は京王井の頭線で使われていたもので、車内はドア上にLEDの案内表示板がついている以外は、ほぼ原形を留めています。
が、モーターは最新のものが装備されており、「キーーーン」という独特の音が響きます。
ミカンの木には黄色に染まった実をたくさんつけ、収穫が近づいているようです。
また、黄金色の穂波が広がっており、こちらも刈り入れ時ですね。
この路線は、島式ホームに差し掛かると、駅によって左側に入ったり、右側に入ったりするようです。
まったく統一性・規則性がないのですが、何か理由があるのでしょう。
石手川公園駅は川の真上にホームがある珍しい構造をしています。
しかも、現役の鉄道橋としては最古のトラス橋で、1892年(明治25年)完成し、移築しないまま現在に至っています。
ホームは1972年(昭和47年)にできたもので、先頭車付近には鎖の柵が掛けられ、歩きにくそうです。
この先は高浜線という名前に変わり、同時に複線となります。
一方、こちらは鉄道線と路面電車が交差するということで、この形態は全国でもここだけしか見られません。
クロス部分に差し掛かった際、軌道線の方を見遣りましたが、路面電車はもう遠くに行ってしまいました。
電車の運行はコンピュータで制御しているにしても、よく正面衝突を起こさず、スムーズなダイヤを遂行しているなと感心します。
黄色いセイタカアワダチソウが目立つほど、そこら中に生えています。
10時43分、三津駅という変哲のない駅に着きましたが、松山市駅から三津駅までの区間は、1888年(明治210時51分年)開通と古く、実は伊予鉄道は民営鉄道の中で2番目に早く設立した老舗鉄道会社なのです。
夏目漱石の『坊ちゃん』も、船から四国に降り立ち、三津駅から「マッチ箱のような汽車」に乗って赴任先の学校へ行きました。
梅津寺駅(ばいしんじえき)付近で穏やかな瀬戸内海が間近に見え、視界が明るくなります。
バスは3分ほどで、松山観光港に着きました。
やわらかい陽射しと涼しい海風が混ざり合って、ずっと持ち続けていた緊張感がほぐれていきます。
11時5分発のフェリーのチケットを買い、いよいよ四国とはお別れです。(続く)