日田彦山線(田川後藤寺~日田)
今日の旅程で最も出来が悪い乗り継ぎですが、本数がない以上、仕方ありません。
昼飯は直方で食べてしまったし、困ったことに、近くに観光スポットはなさそうですから、駅の待合室で待つしかありません。
出発20分前に4番のりばに移動し、2両編成の列車に乗り込みます。
誰もいない貸切状態で、左側のボックス席にくつろいでいると、運転士さんが中に入ってきて、「どちらまで行かれます?」と訊ねてきました。
「もちろん、ここに居たいなら、いいですよ。」ということも付け加えて。
どうせ平日昼間だし、お客さんはたいして乗ってこないと予想されるから、前の車両に移動しても問題なさそうでしたが、結局は億劫がって、そのまま居座ることにしました。
添田駅から先は、2017年(平成29年)7月の九州北部豪雨の影響で、現在も不通の状態が続いている。
だから、この運転士さんの説明は、今の私にはあまり意味をなさないのですが、向こうは私を初めて利用する人だという前提で話しを進めてるから、その気持ちを萎えさせるわけにはいかない。
「ありがとうございました。」と、今旅行3回目の空返事をして、再びくつろぎました。
ところへ、隣の3番のりばに、小倉から来た当駅止まりの列車が到着した。
たくさんの乗客が降りて行きましたが、我が列車に乗ってくる人はそれほどおらず、いてもみんな前の車両へ乗りこみました。
結局、2両目は私1人だけを乗せたまま、13時46分に出発しました。
昨年と同じ快晴のまま、列車はトコトコと進み、14時ちょうどに添田駅に到着です。
地図を眺めていると、先ほどの運転士さんが来て、「あー、これこれ。ホームの先を進んだ所にあるからね。」と説明してくれました。
「分かりました。」とお礼をして、駅舎の方へ歩きます。
昨年訪れた時は、改札口付近で若い男たちがゲームに興じて、あまり印象が良くなかったのですが、今日は誰もおらず、無人駅らしくガランとしていました。
が、隣にはちょっとした鉄道資料館とお土産屋があって、資料館は主に旧西鉄北九州線の写真が展示されています。
また、お土産屋は添田の地物が中心で、何かおやつを買おうかなと物色してみましたが、これといったものが見つからず、外へ出てしまいました。
これで15時42分まで1時間20分も乗り続けなければなりませんから、なかなかの苦行です。
トイレは催しているわけではありませんが、途中で腹痛が起こらないよう祈るばかりです。
運転士は脇で煙草を吸っています。
何故かバスやタクシーの運転士が煙草を吸う姿を見かけるのが多い気もしますが、やはりそれだけ緊張感を強いられるからでしょう。
まして、これから1時間20分も安全運転を心がけねばなりませんから、ストレスは想像以上のものだと思われます。
車内には私のほか、あと3人が乗っていて、もれなく終点の日田駅まで行きます。
バスは添田駅を出ると、急に両側の山が狭まった所を走ります。
次の歓遊舎ひこさん駅は、道の駅歓遊舎ひこさんに併設されていて、せめて鉄道がここまで復旧できれば道の駅でお土産などが買えたのにと思わされます。(折り返しの設備がないから、難しいかもしれませんが。)
これも九州北部豪雨の復旧作業なのでしょうか。
一方、日田彦山線の線路は川の向こう側へと渡り、崩れた斜面の縁を通っているようです。
写真にはありませんが、どうも路盤だけは工事を行っているようでした。
くねくねとした道路を、バスはあまり速度を落とさないまま走るため、揺れが激しい。
次の東峰村役場まではおよそ30分もあり、こんな状態が続けば、乗り物に弱い人は確実に酔うでしょう。
峠を越え、下った先に急に町が現れ、小石原集落に入ったのでしょう。
この辺りは焼物が盛んで、沿道に小石原窯元という幟(のぼり)が立っています。
小石原集落を抜けると、再び下り坂が続き、その途中に東峰村役場前でバスは停車です。
ずいぶん飛ばしたわりに、数分の遅れですから、あまり余裕のないダイヤとなっているのでしょう。
かといって、もっと余裕のあるダイヤにされると、この後、日田駅からの特急列車に間に合わなくなりますから、安全運転と定時運転の板挟みに遭う運転手さんには気の毒だなと思います。
このバスは、筑前岩屋駅には寄りません。
夜明駅に停車しますが、乗り降りする人は誰もいません。
光岡駅(てるおかえき)から日田の盆地に入り、住宅街を通ります。
ロードサイド店も目立つようになり、市街地らしくなってきます。
信号の数は多くなりますが、大分市ほどではありませんから、赤信号による被害はそれほど受けません。
結局、2分早めの15時40分に日田駅に到着。
次の特急ゆふいんの森5号まで10分時間があり、乗り換えは余裕ですね。
日田駅へと向かいます。(続く)