ゆき丸の鉄道日記

鉄道旅行や雑記を綴ります。

吉都線

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正直なところ、JR線最後の未乗路線が、吉都線になるとは思いませんでした。

最後の路線にふさわしい路線と言えば、指宿枕崎線のような最果て路線とか、せめて日南線のような盲腸線でしょう。

それが月並みなローカル線で終わるというのでは、拍子抜けしてしまいます。


・・・ところが、一度でも旅程を組んだことがある人なら分かると思いますが、この吉都線、意外にも乗りづらい路線です。

新幹線こそ通っていませんが、都城駅には特急「きりしま」が走っており、吉松駅にも本数は少ないものの、いちおう特急「はやとの風」が鹿児島中央駅から出ています。

そうであるにもかかわらず、例えば東京や大阪からはもちろん、博多からも不便で、なんとも不思議な雰囲気を醸し出しています。

観光路線でも秘境路線でも盲腸線でもない、私にとっては少しばかり謎に包まれた路線のことを知ることができるので、これはこれで楽しみであります。






その吉都線は、吉松駅と都城駅を結ぶ61.6kmの路線です。

1日3往復しかない肥薩線(人吉~吉松)のような第一級の秘境線とは違い、こちらは1日8往復ほどあります。

JR九州の中でも地味な部類に入り、存在さえ知らない人が多いと思われます。

しかし、何を隠そう、この吉都線こそが、かつて宮崎と鹿児島を結んでいた大動脈路線で、1913年(大正2年)に宮崎線として全通を果たしています。

宮崎線はその後、宮崎、重岡方面へと延び、小倉方面からと線路がつながって、日豊本線に改称されました。

1932年(昭和7年)に、都城駅隼人駅間のルートができ、日豊本線はそちらへと移譲、当区間吉都線に変わりました。






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13時6分発、都城行き2両編成の列車は、ホームに停まっていたものの、私が来たときはまだドアが開いていませんでした。

この2926D列車は、毎月第2水曜日に定休日を設けていて、乗る日にちに注意しなければなりません。

5分前に扉が開き、誰もいない車内を独占している気分に浸りました。

出発時点でも1人か2人しか乗ってきません。








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左側の肥薩線の線路が徐々に上がっていき、山の縁の方に行きます。

その様子を見て、改めて肥薩線の勾配の厳しさに驚かされます。

一方、吉都線は加久藤盆地の平坦部を快走します。






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最初の駅、鶴丸です。

吉松駅からこの駅までが鹿児島県で、この先は宮崎県に入ります。






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右手には霧島連山がくっきりとではないですが、続いているのが分かります。

車内に陽が差し込んでくるので、時々窓を開けて、涼しい風を入れると、これがなかなか心地良い。

広い田んぼに、コンバインで稲を刈り取っています。

北海道から九州に至るまで、田んぼばかり見ていて、歴代の幕府が年貢に米を納めるようにしたのが分かる気がします。(実際は米以外でも納付していましたが。)








ここでは、おばあちゃんがホーム上で乗客に手を振っていました。

管理委託された駅員なのか、それともボランティアでやっている住民なのか分かりませんが、こちらの列車だけでなく、反対列車の方にも手を振っていました。

ローカル線では温かなもてなしに出逢うことがありますが、観光列車に見られるような用意された「おもてなし」ではなく、純粋に歓迎されるのは珍しいです。

吉都線は輸送人数がきわめて少ない、都会の論理では「不要な路線」として切り捨てられそうですが、このおばあちゃんにとっては、生活の一部となっているぐらい大切な路線なのでしょう。

素朴ですが、忘れ難い思い出になります。







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高原駅(たかはるえき)です。

駅舎の看板には、「神武天皇生誕の地」と書かれていますね。

実際、そうなのか不明ですが。。。

その下で、おばちゃんが当列車に向けて写真を撮っていました。







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霧島連山から離れ、都城盆地入りました。

終始、平坦なところばかり走ってましたね。

14時36分、終点の都城駅に到着です。






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これをもって、JR線は全線完乗しました。

といっても、私鉄線まで広げれば、まだ沖縄都市モノレールが残っているから、まだ途中である認識の方が強いですね。

ただ、えびの飯野駅のような温かな歓迎に逢うとは思いもしませんでしたから、記憶に残る路線になったと思います。

余韻に浸ってばかりではいられません。

次は鹿児島空港へ向かい、那覇空港へと飛び立ちますから、完乗修行はまだまだ続きます。(続く)