ひめゆりの塔
11月3日(土)。
九州・沖縄鉄道旅行も7日目に突入です。
昨晩の予報通り、今朝は強風交じりの大雨です。
もっとも、最寄りのバス停までは歩いて5分弱でしたので、この時点では濡れる被害を受けていません。
さらに時間にゆとりがあると思われるので、与那原駅舎展示資料館にも寄ります。
糸満バスターミナルから、8時30分発、82系統のバスに乗ります。
ひめゆりの塔に路線バスを利用する人は少なく、まあ朝だということもありますが、私を含めて3人しかいませんでした。
8時47分にひめゆりの塔前停留所に着き、バスから降りると、もう土砂降りの雨。
近くのお土産で雨宿りをしたのが間違いで、入ってしまった以上、何か買わないわけにはいかず、店員の巧みな話術にそそのかされて、泡盛1瓶(小さいやつ)を買ってしまいました。。。
沖縄地上戦で、沖縄師範女子学校の教師・生徒240名のうち136名が亡くなったという凄惨な歴史は、周知のことです。
ですが、今回、私がこちらに来たのは、その歴史を感じ取ることもそうですが、実は戦前に鉄道が走っている様子の写真があり、それを一目見たかったからです。
受付では、キャリーバッグを預けてくれました。
入り口を抜けて、第1展示室に、その写真がありました。
※館内写真撮影禁止
ひめゆり橋の上で、女学生たち40名ほどゆるく並んでいて、引率教師1人も立っています。
彼女たちの後ろには、小さな蒸気機関車(豆汽車)と何も載せられていない貨車2両が連結された列車が写っていました。
きっと学生たちの中にも、軽便鉄道を利用していた人がいたでしょう。
残念ながら、戦災で路盤・線路・車両もろとも焼失し、戦後に復活することなく、そのまま廃線となりました。
それにしても、嘉手納線をバックに集合写真、それもピンポイントで列車も入れてしまうとは、撮影した人は鉄道好きなのか。。。
そう思ってしまうほど、鮮やかに写しています。
とくに227名の遺影には、学徒1人1人の顔写真と性格が細かく記されていて、それを見るにつけ、二度とあんな過ちを犯してはいけないんだなという気持ちになります。
また、生存者の証言の中には、絶望して自殺しようとしたとき、手りゅう弾を持っておらず、それが結果的に助かったと語っていました。
「運が良かったとはとても言えない。それでは亡くなった人は運が悪かったのか、ということになってしまう。そうではない」という言葉は、強く印象に残りました。
しんみりとした気持ちで外に出ると、雨は相変わらず強く降っていました。