白川郷合掌造り
12時3分、相倉口停留所を出発したバスは、下梨、トンネルを挟んで上梨の集落を過ぎ、湯出島橋を渡ります。
この橋は、いったん庄川を渡ったと思ったら、対岸まで行かず、再びこちら岸へと戻ってくる「S字」を描いたルートです。
右手には小原ダムが広がり、しばらく進むと、小ぢんまりとした菅沼集落が見えてきました。
今旅行に組み入れられなかったのが残念ですが、次回の機会に譲りたいと思います。
「ささら館」を過ぎれば、庄川の深い渓谷が続き、民家は対岸にポツポツとある程度。
12時55分、終点の白川郷(荻町)に着き、降りると、どうも空の様子が怪しくなってきました。
なにしろ、今日は雷雨が予想されていますから、今まで晴れ間が出ていた方が奇跡で、いつ降ってもおかしくありません。
ちょうど昼時なので、バスロータリーから道路を挟んだ向こう側に飲食店が並んでおり、そのうちの1軒に入りました。
母はニシンそば、私は和定食を注文しました。
定食は、朴葉(ほおば)味噌がかかった野菜類、焼き魚、ご飯、漬物など、ヘルシーな内容でした。
食事中、ついに雷が響き、外は土砂降りの雨。
これで外巡りはしづらくなりましたが、どこかでしばらく中に入って、様子を見ることにしましょう。
ということで、とりあえず「和田家」に入ります。
白川郷には60棟もの合掌造りがありますが、そのうち最大規模を誇るのが、この住宅です。
上空に寒気が入ってきたせいか、急に冷え込んできました。
1階に囲炉裏や畳敷きの和室が広がり、襖には松と鶴の絵が描かれています。
急な階段を上がって、2階はアマです。
黒光りする床や柱、梁が印象的で、歩けば床がギシギシと軋む音が鳴ります。
外を眺めれば、集落の景色が見えます。
「和田家」を20分ほど見学した後、外に出て、集落内をひと回りします。
もう相倉でも合掌造りの内部は見たし、あとは大同小異、外から眺めます。
観光客は圧倒的に外国人が多く、ツアーで来ている人たちも。
この点、相倉や菅沼と比べても、段違いに賑やかですね。
しかし、こちらも生活空間であることには変わらず、住民が車で移動したり、子ども達が自転車に乗ってどこか(おそらく友達の家)へ遊びに行く姿も見られます。
生活と観光が混然一体となった世界遺産は、そう多くないはずです。
が、まだ紅葉の時期は尚早だったらしく、この点、我が北の方は不満気でした。
和田家住宅から歩いて登ること15分弱、荻町集落が見渡せる展望台に来ました。
嬉しいことに、また晴れ間がのぞき、しかし霧雲も残っているという絶妙なタイミングでした。
「私、晴れ女だから」と母。
紅葉に染まっていないのがイマイチでしたが、観光客でごった返していませんから、心ゆくまで眺めることができました。
下に降りて、甘酒で身体を温かくした後、今度は庄川の方へ。
エメラルドグリーンの庄川の水面に、崖や木々を映し出しています。
吊橋も人の往来が比較的少なかったので、橋上から庄川の景色を眺めたり。。。
色づいていないものから、始めたものまで、グラデーションのような彩を見せる木々や山の姿は、季節の移り変わりを感じさせます。
が、やっぱり母は完全な紅葉を見られなかったのを残念に思ったらしく、「もう少し後にすれば良かった」と後悔を口にしました。
でも、紅葉の時期はきっと今日のような人数では済まない、のんびりと見れなくなると説得すると、「そうだね」と納得してくれました。
途中、また雨が降ってきて、絶妙なタイミングで観光ができたことに、母の運の強さを感じました。
城端駅前から高速道路に入り、砺波平野をひた走ります。
というのも、前回利用した時、駅前で信号待ちをくらったり、渋滞にはまったりして、18時18分の列車を逃したからです。
おかげで、18時38分まで待つ羽目になりました。
ところが、今日はどういうわけか、スイスイ通り抜けて、18時13分、高岡駅前に着きました。
これも母のおかげなのでしょう。
ちょっと際どかったけど、18時18分発の列車に間に合い、19時過ぎに帰着することができました。
その夜はぐっすり眠ることができました。(続く)