ゆき丸の鉄道日記

鉄道旅行や雑記を綴ります。

映画『かぞくいろ』、原鉄道模型博物館、書泉グランデ

1月3日(木)は、映画『かぞくいろ -RAILWAYS わたしたちの出発-』の鑑賞と、横浜の「原鉄道模型博物館」、そして神保町の「書泉グランデ」に行きました。

いずれも富山では決して見ることができないため、この機会に足を運びました。








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JR有楽町駅から歩いて3分の所にある「丸の内TOEI」。

チケットを買い、地下1階にあるシアタールームへと向かいます。

11時50分上映開始の時点で、観客数は全体の半分も埋まらず、しかも中高年ばかりでした。








あらすじについては、映画のホームページに載っているので、そちらをご覧ください。

感想は、そりゃあやっぱり有村架純は美人だな~、いやもうぜひ彼女が運転する列車に乗りたかったな~。



・・・という思いもありますが、真面目に述べるとするなら、この映画の一番のポイントは「2分の1成人式」(作品内では「半成人式」)という小学校の行事でしょう。

「2分の1成人式」とは、成人(=20歳だが、2018年に18歳に引き下げ)の半分、つまり10歳になったことを祝う式です。

成人式と違い、学校授業の一環として行われるため、公的行事ではありません。

小学4年生の、だいたい1月~2月に行われることが多いです。

そんな学習が教科にあるのかと思われるかもしれませんが、4年生には「総合的な学習の時間」というのがあり、これを「2分の1成人式」に充てているのです。
※ただし、文部科学省の『学習指導要領』には「2分の1成人式」については明記されておらず、各学校の裁量にお任せ。また、実施する場合、準備には「総合」だけでは足りないので、「音楽」や「道徳」、「学活」、はたまた「国語」等で補充して進められる。






「2分の1成人式」は10歳という節目にお祝いする4年生のみの学年行事ですが、それは建前であって、真の狙いは、児童にこれまで育ててくれた人への感謝の気持ちをもたせるというものです。

育ててくれた人というのは、「親」と想定されます。

そこで、大抵の学校では、ほぼ必ずと言っていいほど、「保護者に向けた感謝の手紙」の発表をします。

これまで自分を育ててくれたことへの感謝の気持ちを保護者に伝えることで、感動と家族の絆を深めようとするのです。






映画の話に戻ると、しかし、あらすじにもあるように、この映画の親子関係(晶と駿也)は肉親にあらず、しかもつい最近父(修平)を亡くしてしまったこともあって、式の最中に親子の間に「ひずみ」が起こります。

はたして2人はどうするのか、といった点がいちばんの見所かなと思います。

まあ、鉄道好きとしては、池袋駅近くの跨線橋で電車が次々に走っていく様子や、肥薩おれんじ鉄道の方に目が行ってしまいますが(笑)

晶の義父(國村隼)がまたいい味を出していましたね。






午後2時に映画を見終え、有楽町駅高架下の定食屋でカツ丼を食した後、山手線と東海道本線横浜駅へ行き、次は原鉄道模型博物館です。






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駅から歩いて5分、「横浜三井ビルディング」の2階が博物館です。

家族連れや、鉄道ファン、それから外国人がたくさん来ていました。

第一展示室に入ると、かなり大きいサイズの鉄道模型が整然と展示されていました。

どれも現代日本で走っている車両ではなく、海外のものや、かつて日本で使われていたものばかりです。

とりわけ目を引いたのが、「或る列車」。

或る列車」とは、九州鉄道が明治末期にアメリカのブリル社に発注した豪華客車のことです。

哀れなことに、それほど活用されず、後に教習車や普通列車等に改造されて車両ごとに各地に散った挙句、1950年代中頃までにすべて廃車されました。

そういう幻の列車として語り継がれていますが、現在は当博物館の模型を基にした復刻版が、JR九州の観光列車として走っています。

模型を見ると、外観はもちろんですが、内部の座席や個室まで丁寧に再現されていて、まさにその姿をありありと伝えています。

内部まで再現するとなると、たしかにサイズは大きくしないとできませんね。






模型のほかに、第三展示室の「一番切符」がずらりと並んでいるのも荘厳でした。

「一番切符」とは、新規開業した路線・区間で、最初に発売される切符のことです。

室内には、1927年に上野・浅草間で開業した地下鉄銀座線や、1964年開業の東海道新幹線などの切符が展示されていました。

これらの切符を入手するために、原氏は窓口で発売時刻の数時間から数日前に並びました。

さすがに数日前となると、そこに居続けるのは無理なので、親戚とかにお願いして交代で並んだそうです。

また、1934年に東海道本線の熱海・函南間の丹那トンネルが開通した時、学校のテストをサボって乗りに行ったというエピソードもあります。(もちろんその時の一番切符も入手)

そこまで極めてしまうと、いくら鉄道好きの私でもついていけませんが、一番切符それぞれにはなにか執念みたいなものを感じさせます。






それから、なんといっても、鉄道ジオラマ「いちばんテツモパーク」です。

鉄道ジオラマとしては世界最大級の広さで、しかも使われている模型サイズもいちばん大きい「一番ゲージ」です。

外国の街や山のレイアウトに、これまた外国の列車たちが走り回ります。

機関車トーマスの車両も見せ、これが子ども達にとっていちばん目を引く存在のよう。

普通鉄道のみならず、ロープウェイまで運行させてしまうというのも異色ですね。

時間帯によっては、上の照明を消して、ジオラマのイルミネーションを見せてくれます。

駅前には街の人々も再現され、単なる箱モノを感じさせない造りになっていました。





「いちばんテツモパーク」の隣の部屋には、横浜の今昔を示した「横浜ジオラマ」が展示されてました。

ここまでを通して、全体的に「海外」「歴史もの」が多く、どちらかといえば大人向きだなといった印象でした。









博物館を出て、最後に、神保町の書泉グランデに向かうべく、横浜駅からまず京浜急行線、泉岳寺行きの快特に乗ります。

2100形という関東私鉄の中では異色の車両で、車内座席は転換クロスシートです(ただし、手動できない)。

座席のみならず、1両に片側2か所しかないドアや、車内蛍光灯のインテリア、急加速、時速120kmという高スピードなど、どことなく関西の雰囲気を漂わせています。

景色的には、阪神本線に近いものがあると感じました。

品川駅でほとんどの乗客が降り、電車は地下に潜って泉岳寺駅です。

対面の都営地下鉄浅草線に乗り継いで、1つ先の三田駅でさらに三田線に乗り換える。

神保町駅を出た時、辺りはすっかり暗くなっていました。

駅から歩いて5分弱。

書泉グランデに着き、7階へ行きます。

このフロアは丸ごと鉄道コーナーで占められ、鉄道関係の書籍やグッズ類が豊富に揃っていますが、当然、客層もそういう方面の人達ばかりで、慣れないためか頭が痛くなってきました。






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はじめから狙っていたわけではありませんでしたが、「限定3000部」という文句にまたしても引っ掛かり、衝動買いしてしまいました。

『昭和43年9月号』と『10月号』の時刻表(復刻版)ですから、まったく実用性はありません。

こんな無駄なものを買って、いったいどうするつもりなのかと思われますが(そして実は自分でも使い途に困っている)、とりあえず、路線図のページをみると、なんとまあ人体の血管のごとく、日本列島中、見事なまでに縦横無尽に鉄道が敷かれているのではありませんか。

さすがに新幹線は東海道新幹線(東京~新大阪)しか載っておらず、鉄道のない沖縄(といってもこの頃はまだ日本に返還されていない)にいたっては、1ページの隅っこという扱いです。

ですが、北海道のページを開くと、そこには在りし日の路線たちが百花繚乱のごとく広がり、よくもまあこれだけ鉄道を敷いたものだと感心してしまいます。

それだけ近代日本にとって、重要な地だったのでしょう。

北海道の路線図を眺めていると、私が完乗を果たした2018年(平成30年)とは比べ物にならないぐらい、完乗達成には困難を極めたと想像します。

一方、各路線の時刻表をぱらぱらと眺めてみると、高崎線宇都宮線東北本線)、東海道本線など、とくに幹線では急行や特急が充実しているものの、普通列車は本数の少なさと、優等列車との待ち合わせによる遅さで、ずいぶん冷遇されているように感じます。

我が富山県の大動脈である北陸本線も、普通列車の本数の少なさには使い勝手の悪さを感じてしまいます。

こうやって、新旧の時刻表を比較すると、今昔それぞれの良さと悪さが分かって、なかなか面白いなと思ってきます。

それと、当時の「交通新聞」が2枚付いており、記事の内容はこの頃のダイヤ改正にスポットを当てています。

中には、機関士の飲酒運転及び口論による懲戒解雇の記事も掲載され、まさか50年後の平成の終わりに、また蒸し返されるとは思いもしなかったでしょう。

しかも、記事の文言には「らしい」といった、今日の新聞にはありえない推定表現の助動詞を使っているあたり、どこか緩い雰囲気を感じます。






かようなわけで、とりあえず当面はこれらの時刻表を使って、廃線になった路線の姿を想像してみましょうかね。

あとは、実際に廃線跡をたどる参考にするとか。

どちらもやっぱり実用性はなさそうですね。(続く)