上信電鉄3(富岡製糸場)
変哲のない住宅街なんて知ってどうするのかという誰得な行為ですが、これが自分には存外おもしろく、時たま発見があるから、捨て置けないのです。
(おっと、ここで慌てて断りますが、この「発見」というのはもちろん「私」にとってであり、当ブログの読者にはやっぱりおもしろくないと思われるのが大半なので、期待しないでください)
そういうわけで、まずは駅前の通りを南東へまっすぐ行きます。
この辺りはごくごく普通の住宅街で、ときおり飲食店が見られます。
相変わらず、人の往来はなく、車ばかりが行き交いますね。
十字路を左へ曲がると、お寺が見えてきました。
「永心寺」というそうで、赤い門をくぐると、
立派な梵鐘や本堂に突き当たります。
鐘の周りには柵がしておらず、その気になれば上って鐘を突くことができそうでしたが、周辺住民に迷惑をかけるかもしれないと思って、やめました。
由緒とかはまったく知らないけど、ここで入ったのも何かの縁、お賽銭を入れてお祈りをしました。
鐘の前に立っている掲示板には、なかなか厳しいことが書かれていました。
「試練の年」とは、毎年のことのように思ってしまいますが、いつだって世知辛いものですね。
永心寺の隣には、龍光寺というお寺がありました。
お賽銭を入れたばかりなので、こんどは軽いお祈りだけで済ませます。
寺の裏側には、富岡製糸場で働いていた工女のお墓が建っています。
病などで亡くなったのが60名近く。
日本が近代化を遂げた裏で、こうした若い女性たちのの犠牲があり、彼女たちの努力がゆくゆく今の私達の生活につながっていることを思うと、胸が痛くなりますね。
なお、工女たちのお墓は周辺住民のと混じっていて、私はいささかお参りしづらいなと感じました。
なお、このお寺には「お墓参りの心得」なるものがあります。
真面目に全部を履行しようとしたら大変なので、このうちのいくつかを守れば十分でしょう。
ようやく、富岡製糸場です。
ここを訊ねるのは2回目で、前回は世界遺産に登録される前の6月に来ました。
まあ世界遺産に登録される前から、それなりにお客さんは来ていましたけど、これで箔が付いたわけです。
入場料1000円を払って、中へ入ります。
しかし、残念なことに、建物の老朽化や半壊による修理などで、工事中が多く、中まで見学できる施設は多くありませんでした。
西置繭所は、保存修理工事の様子を見せてくれて、ヘルメットをかぶって中へ入れば、工事の流れを示した展示とか、洋風のレンガ造りに瓦屋根という和洋折衷を間近で見ることができました。
その西置繭所の左、細い路を通ると、「鉄水溜」というどでかいタンクがあります。
蒸気で動かしていた時代でしたから、大量の水を必要としていたんですね。
順序が逆ですが、入り口の前の建物が東置繭所で、こちらの1階アーチ北側には富岡製糸場の歴史紹介、アーチ南側には繰糸器の展示と土産屋があります。
座繰り実演があったのですが、午後3時までと、すでにその時刻を過ぎてしまいましたから、見られませんでした。
ただ、本物の蚕が糸を吐いている様子の見学や、実物の生糸と絹を触ることはできました。
絹には何度か触れたことがありますが、本当に柔らかくてふわふわしています。
繰糸所は一部見学できます。
建物自体は1872年(明治5年)にでき、内部の機械は1966年(昭和41年)以降に設置されたものです。
現在は別の工場で、繰糸が行われており、その様子を映したビデオが見られます。
あとは診療所や首長館(ブリュナ館)、寄宿舎などがあります。
首長館はカフェとなっていて、中に入ることができますが、それ以外の施設は外部からのみとなっています。
世界遺産に登録されてから工事中の建物が増えたことはずいぶん皮肉のように思われ、これで1000円とは少し高い印象をもちますが、保存の修理代だと思えば、納得できるでしょう。
富岡製糸場を出た道をまっすぐ歩くと、飲食店が軒を連ねています。
とくに名物の上州まんじゅうやホルモン揚げに目が行ってしまいますが、あれだけ昼飯を食べたのだから、今回は我慢。
また来ることがあるかもだから、その機会にとっておきましょう。
世界遺産登録に合わせた新駅舎は、ずいぶんさっぱりしたお洒落なものへと変わりましたね。
その向こう側には虹が上へ延びていて、どうやら雨が降っているみたいですね。
16時22分発、高崎行きに乗り、16時59分に終着。
高崎駅ホームには、まるで日曜日が終わるのを告げるかのように、たくさんの帰宅客が当電車に乗るのを待っていました。(終わり)