富山ライトレール富山港線1
灯台下暗し。
平日の昼下がりだというのに、富山駅北のホームにはすでにたくさんの人が待っています。
しかも、ライトレールは15分に1本の運転間隔ですから、地方都市にしてはなかなかの盛況っぷりです。
開業してからもうすぐ13年経つのに、路面電車のデザインは今でも近未来型を予感させます。
車内にいた乗客が全員降りた後、乗車側のドアが開きました。
始発駅なのに座ることができず、私はいちばん後ろの方で立つことになりました。
客層は主婦のおばちゃんたちが多く、ほかにはリタイアされたおっちゃんなど、基本的には地元客で占められています。
開業当初に混むのはよくあることですが、それから13年経った今でもこうしてたくさんの乗客(それも地元客)で賑わっているのは、成功の証と言っていいでしょう。
1人若い男が、降車側から乗ろうとして、無理矢理ドアを開けようとしましたが、その様子に気が付いたおばちゃんが、車内から「こっちだよ」と手で合図して若者に知らせました。
そのおかげで若者は間一髪で乗ることができました。
ただし、JR時代は富山駅を出発し、現在の奥田中学校前駅までは違うルートを通っていました。
だから、たびたび信号で停められては、行き交う自動車を待避することになります。
富山駅北から2つ目の信号を右へ折れて、ほどなくインテック本社前です。
駅名の通り、株式会社インテックのビルがそびえ立っています。
この駅で降りる人はおらず、数名乗ってきました。
車内は乗客でぎっしりです。
松川を渡り終えると、複線になり、これが次の奥田中学校前まで続きます。
距離にしてわずか数百メートルしかないのに、いったい何の意味があるのかと思われますが、この複線ができるまで上り電車(富山駅北方面)は奥田中学校前で下り電車が来るのを待ち合わせていました。
それが、この複線ができたことで待ち合わせが解消し、そのまま下り電車とすれ違えるようになったのです。
旧JR線と合流する地点で左へ急カーブし、奥田中学校前です。
当駅はライトレールに移管の際、新設されました。
※写真は別の日に撮影
なお、廃線跡は現在、遊歩道になっていて、なぜか一部のレールも残っています。
(コンクリートで埋まっていますが)
ライトレールに話を戻し、奥田中学校前からはJR線時代と同じルートを走ります。
スピードもそれまでゆっくりしていたのが、時速60kmぐらいまで飛ばし、郊外路線を思わせます。
下奥井駅の次、粟島(大阪屋ショップ前)も新設された駅で、しかも行き違いができる構造です。
駅前には「大阪屋ショップ」というスーパーや、シメノドラッグがあり、買い物に便利です。
JR時代は線内唯一行き違いができる駅で、ライトレールになってからも変わりません。
反対電車も乗客でいっぱいでした。
犬島新町駅を通り、蓮町駅には四方(よかた)方面に行く路線バスが待機していました。
ライトレールはこの駅と終点の岩瀬浜駅で、それぞれ路線バスに接続して、さらに遠くまで行き来できるようになっています。
ここまで来ると、乗客の数はだいぶ少なくなってきました。
ところで、真ん中の扉口には、「降車専用」と書かれたICカードリーダーが設けられています。
これはICカード「パスカ」と「エコマイカ」であれば、わざわざ先頭車まで行かずとも、このリーダーにかざすだけで降りられる「信用乗車方式」と呼ばれるものです。
ライトレールは全区間一律200円(ICカード利用者は1割引きの180円)ですから、乗車時にはリーダーにかざす必要はありません。
(もっとも、私は一度だけ乗車時にかざしてしまい、降車時に降りられなくなって、やむなく先頭車にいる運転士に直してもらうという手間をかけましたが)
JR線時代は臨時駅だったそうですが、ライトレール移管時にめでたく常設駅に昇格しました。
ホーム窓のデザインが、これでもかと言うぐらい「競」という字で輪っかを描いています。
運河を渡り、岩瀬カナル会館を見て、終点の岩瀬浜駅に到着。
乗車時間はおよそ25分でした。
1面のホームがロータリーに接したシンプルな構造です。
水橋漁港に向かう路線バスはいませんでした。
さて、ここから歩いて岩瀬浜海水浴場、さらに廻船問屋のある街へと繰り出します。(続く)