ゆき丸の鉄道日記

鉄道旅行や雑記を綴ります。

琴電琴平線

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長尾線で15時40分に瓦町駅で降り、この日最後の未乗線である琴電琴平線に乗って、終点の琴電琴平駅を目指します。

16時5分発の電車で行けばいいのですが、その前に15時50分発、滝宮行きの電車が来て、いろんな車種にも乗りたいので、これに入ります。

こんどは元:京王電鉄の車両で、2両編成の車内はやはり高校生を中心に混雑していました。






琴電琴平線という、なんともリズミカルな名前は、一度唱えたら忘れないように気がしますが、高松築港駅琴電琴平を32.9kmで結び、路線長、運行本数、車両数など、3路線の中では本線格といっていいでしょう。

栗林公園までは複線で、その先が単線となります。

沿線は市街地ということもあって、ビルや住宅街が目立ちます。

私が乗った電車は、途中の仏生山駅で車両の入れ替えをするため、乗り換えを促されました。

4両編成で、この駅から乗ってくる客はあまりおらず、降りて行った人たちと、2両分増車ということもあって、乗客が分散され、ガラガラ同然になりました。





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田んぼや畑、更地などが目立ち、だんだんと郊外の様相を帯びてきました。

すっかりしとしと雨で、窓に雨粒が付き、まだ午後4時半前なのに、辺りは薄暗くなってきました。

岡本駅の目の前には奈良須池が広がり、琴平線からはあまり見えませんが、この辺りはこういう池が多いです。







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16時26分、滝宮駅で15分待ちます。

私が乗ってきた車両は京急のラッピングが施されていて、なぜか羽田空港への利便性を強調しています。

元が京急車ということもあって、赤と白の派手な装いも自然に見えてきます。





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当駅は大正11年(1926年)開業のままの駅舎で、一宮駅から琴電琴平駅までの途中駅では唯一の有人駅です。

そのため、窓口も開いていますが、ご覧の通り、朝と夕方・夜のみの営業です。

早朝から開いているのもすごいですが、平日の終わりが0時30分という都心並みの遅さに驚きます。






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ホーム上の屋根が低く、クモの巣が大きく張って、引っかかったのを取り払うようなことをしているうちに、16時42分発、琴電琴平行きの電車が来ました。

ロングシートには、男ばかりの乗客が散り散りに座っていました。

薄暗さと雨と靄(もや)で遠くまで視界は効きませんが、羽床富士(堤山)と讃岐富士(飯野山)はなんとか見ることができました。

とくに羽床富士は何もない所にぽつんとあって、山の形だけ見るなら、ドラえもんに出てくる学校の裏山のような趣です。

沿線人口は少なく、途中駅で乗ってくる人はいません。






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JR土讃線の下をくぐって、大きく左へと回り、金倉川にぴったりくっつくいて、17時2分、琴電琴平駅に終着です。





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金毘羅山の玄関口らしく、和風な駅舎ですね。

これで琴電は完乗です。

今日の鉄旅はここまでで、これから宿へと向かいます。




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道路を挟んだ向かい側の空き地には、先端が黄色いセイタカアワダチソウが生えていました。

この2日間、列車内からは最もよく見かける植物で、更地はもちろんのこと、線路脇や高架部分のちょっとした隙間にもしたたかに生えていて、秋の代名詞であるススキより多い印象です。

要注意外来生物に指定されているほか、日本の侵略的外来種ワースト100にも選ばれているぐらいですから、どうも在来種を脅かせているようです。

こうなると、少数派のススキの方に情が移るのですが、最近はモグラやネズミが駆逐され、彼らの出した肥料成分(主に糞尿や死屍由来)を取り込み過ぎて枯渇し、その勢力が衰えつつあるようです。

だいたい単一に染まった種(組織)でいい結果が出た試しがなく、様々な種と交配することで、環境に適応・進化し続けるのです。

それでも、共存というのはなかなか難しく、動物と同様、食うか食われるかの厳しい世界なんだなということを痛感させられます。






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川沿いにはぼんぼりが連なっていて、何かイベントがあるのかなと思っていると、近くでドンドンドンと花火の合図が鳴り響きました。

その川沿いを歩いた左手には、金毘羅山のお膝元にはふさわしくないソープ店があり、外から入口へちらっと視線を移すと、受付のおばさんが暇そうに座っていました。

7分ほどで宿に着き、さっそく女将さんに何かイベントがあるのか訪ねると、「金毘羅宮例大祭」があって、午後9時に開始するとのこと。

金毘羅宮のイベントの中でも特殊神事で、最も重要な祭りです。

神輿を男女2人ずつが先頭に立ち、邪心のない子供は神へと導くとされています。

少し見てみたい気持ちもありましたが、小さな宿なので、夜に繰り出すのは宿の人に迷惑になるだろうと止め、風呂に入り、夕食をたらふく食べて、さっさと布団に入ってしまいました。

外から市民の賑やかな声が、夜更けまで続いているようでした。(続く)