南阿蘇鉄道高森線3(中松駅)
しかし、現状では、駅舎寄りの1面1線しか使われていないようです。
というのも、先ほど車内から見た様子では、反対側の線路が明らかに錆びついているからです。
おそらく、ポイントも使われていないのでしょう。
1日3~4往復しか走らないことを考えれば、経費削減のための措置と思われます。
2本の線路を比較すれば、一目瞭然です。
では、駅舎側の線路はすべて使われているかといえば、そうでもなさそうです。
線路の間に「TR」と書かれた白い印が置いてあり、たぶん列車はここまでに停止しなければいけないのでしょう。
その手前に、錆びついた線路との境目があります。
写真ではぼんやりとしてて見にくいですが、肉眼でははっきりと分かります。
この先、立野駅までも線路はそのままほったらかしで、復旧時に線路や枕木を取り換えるのでしょう。
日本一長い駅名を謳っていましたが、被災していて、列車から訪問することはできません。
この路線には、他にも阿蘇下田城ふれあい温泉駅、先ほど通過した南阿蘇白川水源駅と、やたら長い駅名が多いのが特徴です。
あざといかもしれませんが、厳しい経営環境のことを思うと、不平なんて言えません。
反対側のホームに回ると、小川の流れる音が聞こえます。
川は草葉に覆われて見えませんが、ちょろちょろと流れる音を聞くだけでも、気持ちが良いものです。
実は、この駅には悲しい歴史をもっています。
1945年(昭和45年)5月13日、中松駅に停車していた列車が、米軍飛行機による機銃掃射を受け、乗客に死傷者が出たのです。
その跡がホームにも残っており、うっすらと白い輪の中に1箇所だけ欠けた部分があります。
南郷谷にも、戦争という暗い影が落とされていたんですね。
今も昔も、厳しい状況が続く南阿蘇鉄道ですが、当駅の線路枕木には、名前とメッセージ(赤字)が印字されたプレートが貼られています。
これは1年間、枕木のオーナーになる制度で、支払った料金は復旧費用に充てられます。
たくさんの応援を受けているのがよく分かります。
全線で運行されていれば、決して降りることはなかった中松駅。
こういう機会に見所を知ることができて、良かったと思います。
あっという間に25分が経ち、まもなく10時45分発のバスがやってきます。
肥後大津駅に向けて、また進みます。(続く)