上越線1(越後湯沢~水上)
たくさんの人で行き交う新幹線コンコースと違い、在来線の方はガランとした寂しい雰囲気を漂わせています。
出発が12時13分と、当駅で20分も停車しますが、これは上越新幹線からの乗り換え客を待つためだと思われます。
車両は3年前に国鉄型車両を置き換えた新型車で、4両編成の車内は混んでいるかなと思って入ってみたら、案外空いていて、難なく4人がけボックス席に座ることができました。
ところへ、ホームから大荷物を抱えたおばあちゃんが車内へ入ってくるなり、私に「これは六日町へ行きますか?」と訊ねてきました。
あいにくこの電車は反対方面に行ってしまうことを伝えると、おばあちゃんは「どうすればいいの?」と狼狽し、ウロウロし始めました。
すると、近くに座っていたおっちゃんが「駅員さんに聞いてみたらいいよ」と言ってくれて、おばあちゃんはまだ状況を理解しきっていないながらも、急いで列車から降りて行きました。
あまり鉄道に乗り慣れていないようで、たぶん電光掲示板を見ても分からないから、駅員に訊ねるのがいちばんの解決法でしょう。
やがて、1番線に長岡行きの電車が入ったのと同時に、当電車も出発しました。
こんな雪深い所でも「撮り鉄」の人がいて、神出鬼没というか、よく寒さに耐えているな~と感心してしまいます。
ときには雪に埋もれた踏切が見え、もはや通り抜けが不可能な状態にまで達しています。
越後中里駅では2組の家族連れが降りて行きました。
ホームと反対側にはスキー場があり、たくさんの人で賑わっていました。
ここから先は1日5本(この日は臨時列車も含めて8本)しか通らない閑散区間に入ります。
下り線と分かれてトンネルに入ります。
川端康成『雪国』で描かれる景色もこんな感じだったのでしょう。
もともとは信号場で、のちにスキー利用客を見込んで駅に昇格しましたが、そのスキー場も廃止された今、在って無いような駅です。
そんな誰も利用しないような駅でも、ホームにはちゃんと融雪装置がついて、細長い鉄パイプの穴から水を流していました。
(下り線の新清水トンネルは1967年開通)
そうはいっても、トンネルに入ってしまえば、ただただ暗闇が続くだけですから、退屈します。
私は先頭車にあるトイレに行き、用を済ませました。
長いトンネルの楽しみは、むしろ抜けた瞬間の景色の変わりようにあります。
目隠しされた人が、しばらくして目を開いた瞬間にあっと驚くようなことと似ています。
で、清水トンネルを抜けた景色というのが、まあトンネルの入口付近と変わらない雪景色でしたが、晴れ間はさっきよりも広がっていました。
当然民家などありませんが、なんと2人降りて2人乗ってきました。
なお、地上にあるホームは上り線のみで、下り線ホームは山の地下深い所にあります。
逆に言えば、下り線から駅の出口までは462段の長い階段を上らなければならず、私は1度だけ経験がありますが、駅に出るのにこんなしんどい思いをしなければならないのかと思ったものでした。
その後も、トンネルが続き、ときどき外へ顔を出します。
そして、右手に湯檜曽(ゆびそ)の温泉街が見えてきて、その下に1本の線路が延びています。
2回目のループ線に突入です。
こんどはぐるりと回りながら高度を下げていきますが、やっぱりトンネルばかりです。
ループトンネルを抜けると、先ほど上から見下ろした線路を通り、湯檜曽駅です。
この駅も下り線はトンネルの中ですが、土合駅と違って、地下深い所ではありません。
なお、左の車窓には先ほど通ってきた上り線が見えます。
12時52分、水上駅着です。
私はこのまま高崎方面の列車に乗り継ぎます。(続く)