八高線
東京以西の関東地方の人口規模は、中央線を境に南北の差があるように思えます。
鉄道路線図を見ても、中央線より南は隈なく張り巡らせてあるのに対し、北は多少の差はあれど、空白地帯が目に付きます。
もちろん鉄道路線の数だけで決めつけるのはナンセンスで、しかも中央線を境に人口に南北差があるという仮説自体、あくまで私がこれまで見てきた中での印象論に過ぎません。
きちんと人口数を比べるなら、南北の自治体範囲を決め、それぞれの人口数の合計を出さなければなりませんが、そこまで計算するのは大変ですので、ここで切り上げます。
さて、冒頭でそんな話題を出したのは、これから乗る八高線が東京近郊で言わずと知れたローカル線であるからです。
14時18分に出発した列車は、京王線を跨いで進行方向左へと曲がり、北を目指します。
浅川を渡り、1つ目の北八王子駅前は、どーんとでかい工場が見えます。
なお、1945年(昭和20年)8月に、ここで列車同士の正面衝突事故が起き、少なくとも105名が亡くなったそうです。
たくさんの犠牲者を出した悲しい過去を背負い、今安全かつ安心してこの風景を眺められるのですね。
沖縄県を除くと、日本列島最大の基地だそうで、車内から眺めてもその広大さが分かります。
この鉄橋はずいぶん高い所に位置し、遠くの山々まで見えます。
そして、ここは1947年(昭和22年)2月に列車転覆事故が起き、およそ184名の死者と495名の負傷者を出しました。
新人運転士の経験不足によるスピード超過や定員を超える乗客数によって、カーブを曲がり切れず、6両のうち後部4両が脱線し、高さ5mの土手から転落したそうです。
それから60年後に福知山線でも似たような事故が起きるとは、皮肉なものですね。
14時55分、高麗川駅到着。
次の列車が15時45分としばらく時間があるので、改札の外へ行くことにしました。
風が強く、陽がだいぶ傾いてきたこともあって、肌寒くなってきました。
駅前通りを真っ直ぐ400m程歩いた先に、2階建ての「ファミリー丸広」があり、そこで腹ごしらえにチャーハンを食べました。
さらにお店から道路を挟んで向かい側の駐車場の一角に、焼き鳥店がありました。
1962年(昭和37年)に世界で初めて焼き鳥組合が発足するほどですから、地元では根強く支持されています。
私は特選かしら肉とぼんじり串を注文しました。
脂ののったお肉だけだと少々ゴテゴテ感があるが、辛めの味噌と一緒に食べることで、唐辛子の辛さが引き立ってさっぱりとした味になります。
周辺は人気がなく、車が往来するだけでまちの静寂の雰囲気を漂わせています。
再び高麗川駅に戻ります。
高崎行き2両編成のディーゼル車がホームで待っていました。
ドア横のボタンを押して開けると、ボックスシートの窓側の席はすでに埋まっていました。
鉄道ファンらしき人達もいて、ファンに人気が高いことがうかがえます。
この先は丘陵地帯の挟まれた田舎の風景が続き、そばにまだ雪が残っていました。
群馬藤岡駅では高校生を中心にどっと車内に入ってきて、賑やかになりました。
車内を明るい雰囲気にさせるとは、さすが若者ですね。
この先で列車は高崎線に入ります。
上下線が分かれ、烏川を渡ります。
それにしても八高線は川を渡るのと、他路線と接続する駅が多いですね。
17時11分、高崎駅に到着。
陽が落ち込み、寒さが一層増してきました。
これで、今回の目的が果たされました。
あとは北陸新幹線で帰るだけです。(続く)