旧北陸本線散策(筒石~能生)
暖かい日が続いて、絶好の旅日和ですね。
行った日は3月4日(日)で快晴、最高気温は18℃でした。
14時41分、鉄道ファンにはお馴染み、頚城トンネルの中にある筒石駅に下車。
ホーム幅は狭く、暗いです。
貨物列車が通過するため、重い引き戸があります。
私が降りた上りホームからは地上まで290段の階段を上ります。
見渡す限り山の中の駅です。
3月上旬ということもあって、まだ雪が残っていましたが、さすがに今は融けてなくなっていると思います。
10分程かけて筒石の集落、そして日本海へ向かいます。
しかし、この冬、尋常じゃない積雪量だったと察します。
進行方向右手には深い谷が落ちており、川が流れています。
ほとんど崖です。
排水溝から雪解け水が溢れ出し、道路を濡らしています。
こちらも雪解け水と思われます。
滝をつくって先ほどの谷に落ちていきます。
この滝周辺だけ、なぜか空気がひんやりとしていました。
糸魚川市立磯部小学校を抜けると、住宅が現れ始め、筒石集落に到着。
山が日本海まで迫ってきていますね。
久比岐自転車道があり、自転車・歩行者専用道路となっていますので、能生方面にとりあえず歩いてみましょう。
と思ったら、土嚢が道路いっぱい塞いでいるではありませんか!?
近くにショベルカーも置いてあり、恐らく地滑りが起こったか、起こる恐れがあったのでしょう。
ここに鉄道が走っていたかと思うと、当時は本当に地滑りに悩まされたんですね。
通行止めの区間が終わり、気を取り直して再度、旧線を歩きます。
すぐ横が日本海で、景色は最高ですね。
途中、藤崎海水浴場があり、夏は海水浴が楽しめますね~♪
遠浅だから子供も十分に楽しめるでしょう。
でも、筒石駅からは徒歩でおよそ30分と遠いので、アクセスは車かバスですね。
またまた自転車道に戻り、百川の手前で行く手を遮るものが!?
日当たりが悪いらしく、まだ大量に残っていたのです。
周囲に道らしい道はなかったので、仕方なく雪道を歩くとことに
靴の中に冷たいのが入ってきて、中がびちゃびちゃになってしまいました。
考えてみれば、旧線は冬の除雪も大変だったんじゃないか。
しかも山がすぐそこまで迫ってきているから、春先は雪崩にも悩まされたのではないか。
そう思うと、この区間は鉄道にとっていかに難所だったか実感できます。
全長161mの百川トンネルです。
煉瓦造りが旧線の遺構らしさを出していますね。
中はひんやりとしていて、湧き水もちょろちょろ流れていました。
子供なら「アー!」と大きな声でトンネル内を響き渡らせる遊びをするでしょう。
また、夏の夜には肝試しもいいかもしれない・・・
トンネルを抜けてしばらく歩くと、何段にも渡って流れている用水路を渡ります。
やはりひんやりとした空気が覆っていました。
道の駅「マリンドリーム能生」に到着。
もうすぐ17時で、ここまで来るのに(写真を撮っていたせいもあるのですが、)まあ2時間はかかりました。
足が棒になりそうだったので、店内に入ってしばし休憩。
さすがにこの時間、レストランは閉まっていましたが、セブンイレブンやお土産屋は営業していました。
私は「リーフキッチン」というお店で、ちょっと珍しい昆布アイスを注文。
しょっぱい昆布と甘いアイスなんて合うのかと、期待と不安の気持ちをもって一口。
ん~!!
昆布の香りはするけど、決してさっぱりジェラートの邪魔をしない。
想像を超える爽やかなアイスでした
本館の裏側は広場になっていて、ここから眺める日本海の夕日は格別ですね。
道の駅の近くには笹川記念館というのがあり、そこに「水六訓」という水の賛歌(?)みたいのがありました。
でもまあ確かに、水は人類共通の資源ですもんね。
漁港がある小泊地区です。
実は、1963年3月16日の夕方、ここ(雪が見える辺り)で連続地滑り災害が発生し、ちょうど通りかかった7両編成の列車が土砂に乗り上がり、2回目の地滑りで蒸気機関車ごと海へ流されるという大惨事がありました。
この事故で小泊地区は死者4名、負傷者数名、家屋全半壊29戸の被害を出しました。
一方、乗客およそ150名には1人も死者は出ず、間一髪のところで全員助かったそうです。
夕日と弁天岩のシルエットです。
約300万年前に海底火山が噴火してできた火砕流堆積物だそうで、全体的にごつごつしています。
曙橋を渡って厳島神社に行くことができます。
日本海に落ちる夕日は、美しさの中にもどこか哀しげな表情を見せると感じます。
能生交差点。
ここから市街地へまだ15分程歩きます。(疲れた・・)
時刻は17時半を回り、実に3時間近くの1駅散歩でした。