ゆき丸の鉄道日記

鉄道旅行や雑記を綴ります。

常磐線4(富岡~浪江)

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富岡駅前、11時40分発、浪江駅前行きの代行バス(後ろの白いバス)の前には、すでに列をなしていました。

バスの乗降口で添乗員にきっぷを見せて乗る。

車内はほぼ満席状態で、私は通路側に座ることになりました。





「これから、帰還困難区域を通過します。窓は開けないようお願いします。また、安全のため、車内での写真撮影はご遠慮ください。」

というアナウンスの後、バスはロータリーをぐるりと回って、出発しました。





富岡町の市街地を走ります。

車は行き交い、歩行者はいない典型的な地方のまちの風景ですが、お店は営業していました。

国道6号線に入り、しばらくして道路脇に「ここから先は帰還困難区域です」という看板が立っていました。

すると、それまでの雰囲気とはガラリと変わり、どうみても人気(ひとけ)があるとは思えない所に来ました。

ガソリンスタンドには太い枝葉が散乱し、放置状態。

ファッションセンター「しまむら」も閉まっていて、中は真っ暗。

その後、大熊町に入り、道沿いの家々が姿を現しました。

ぺしゃんこにつぶれた旧い木造家屋なのか小屋があり、たぶん7年半前の震災のままと思われます。

ここまでひどくないにしても、屋根瓦が剥がれ落ち、地面に散らかっていたりというのは、ざらにあって、震度6強のすさまじさを、まざまざと見せられました。

全壊・半壊状態の家の一方で、震災直前に建てたばかりの立派な家もカーテンで閉められ、やはり誰もいない雰囲気を出していました。

大熊町全域ではありませんが、このバスが走っている所は、東京電力福島第一原子力発電所が近く、まだ除染が完了していないため、一時帰宅を除いて戻るに戻れず、2018年(平成30年)3月の時点で、避難者は11505人もいます。

テレビや新聞とかで頻繁に報道されているから、誰も住んでいないことは頭で分かってましたが、実際に見に行くと、家はあるのに住まいを失うという光景に、ただ言葉を失うばかりです。

日本で本当に起こったのかと思うと、今さらながら残念でなりません。

住宅なんて普段はどうってことない、空気のように、あって当たり前のような存在でしたが、ここではむしろ何か非日常空間のように感じました。

当たり前が崩されたのを目にしたことで、かえって、日常生活が愛おしくなってきます。






集落を過ぎると、民家がぽつぽつと点在するぐらいで、丘陵地帯を走ります。

左右に延びる道路はゲートでふさがれ、その前に白い防護服を着た人たちが立っていました。






帰還困難区域を抜け、さらに進んで浪江町に入ると、営業中のお店が見え、「しまむら」にも駐車場が車で埋まっていて、活況を呈しているようでした。

左へ曲がり、12時10分、浪江駅前に到着。



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12時20分発、原ノ町行きの列車に乗り換えです。(続く)