ゆき丸の鉄道日記

鉄道旅行や雑記を綴ります。

一畑電車北松江線2(川跡~松江しんじ湖温泉)

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出雲大社前駅、16時18分発、川跡行きの電車は、予想通り、観光客で満席&立ち客が出るほどの混雑ぶりでした。





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16時29分に川跡駅で、31分発、松江しんじ湖温泉行きがやってきました。

同時に、反対側の電鉄出雲市行きの電車も来ました。

3方向の電車相互に乗り換えられるようになっていて、一畑電車のダイヤは、この川跡駅を軸に展開しているようですね。

ちょうど高校生の下校時と重なり、それはそれはもう大混雑です。

しかも私が乗る電車はよりにもよって、また1両ですから、どこぞの都会ラッシュ時となんら変わらず、旅情もなにもあったものではありません。

駅に着くたびに、降りる人はひしめき合う乗客をかき分けて前の扉の方に進んで行きました。







美談(みだみ)、旅伏(たぶし)と難読駅名が続き、高校生もぽつぽつ降りて行きます。

そして、本社や車両基地を構えた雲州平田駅で、多くの高校生たちが降りて行き、ちょうど山側の席が空いたので、座りました。

同時に、運転士も交代し、新しい運転士が恭しくお辞儀をして運転席に着きました。






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進行方向右手には宍道湖が見えますが、私はこのまま山側の席で通すことにします。

その理由は、一畑口駅で方向転換(スイッチバック)するからです。
※地図 → https://yahoo.jp/Kf6ihm

もともと一畑電車(旧一畑電気鉄道)は現在の電鉄出雲市駅から一畑寺一畑薬師)へのアクセス線として敷設され、その後、旧北松江(現:松江しんじ湖温泉)方面の線路は後付けされたという経緯があります。

やがて、太平洋戦争末期になると、不要不急路線ということで、一畑口から一畑までの3.3km区間の線路は名古屋鉄道名鉄)に供出され、営業休止となりました。

戦後も復旧することなく廃止され、一畑口駅もとくに移設されず、そのまま残りました。

こうして、急勾配を通るわけでもない平坦地に、スイッチバックがそのままの形で置かれているのです。







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したがって、電車の向きはあべこべになり、山側の席が湖側に、湖側の席は山側へと変わります。

これが、私が高校生の頃、不思議に思わせたトリック(?)だったのです。






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電車は終点まで、宍道湖の北岸に寄り添うように進みます。

丘陵地が湖岸まで迫ってきて、平地が少なく、左右のカーブが多くなります。

それに伴い、スピードも遅くなって、ローカル線らしいのんびりとした時間が流れます。

空は薄雲に覆われましたが、明るさはまだ残っています。





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秋鹿町駅(あいかまちえき)という難読駅は、目の前に宍道湖が広がり、降りればまるで江ノ電鎌倉高校前駅を思わせるような景色が待っているのでしょう。

反対側の2両編成の電車がやってきて、そちらの方が乗客数は多いようでした。

帰宅ラッシュが始まったようです。

当電車も少しずつ地元客が乗ってきて、17時19分、終点の松江しんじ湖温泉駅に到着。





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図らずも、未乗区間も含めて、一畑電車全線を走破してしまいました。

しかし、久しぶりの路線で、出雲大社にも行くことができ、そして新しい車両(ばかり)に乗れたので、初日としては満足ですね。

1.5kmほど歩いた所のビジネスホテルで荷物を置き、飲み屋街に繰り出して居酒屋で入り、ほろ酔いセットを注文しました。

その中で、全体が真っ黒な唐揚げが出てきて、海苔が巻いてあるのかと思って店員に訊ねたら、竹炭パウダーをまぶしたものだと言われました。

美容にいい効果があるそうで、ずいぶん不思議な唐揚げだなと思いながら食べました。

ホテルに戻り、例によって明日の天気予報を見ると、次の目的地付近には、やっぱり雨マークが並んでいました。(続く)