ゆき丸の鉄道日記

鉄道旅行や雑記を綴ります。

飯田線2(天竜峡~豊橋)

12時50分に天竜峡駅を出発。

 

ここから深い渓谷に入ります。

 

 

 

 

 

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民家がなくなって、山と天竜川の景色が続きます。

 

 

 

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千代駅、そして次の金野駅は、豊橋方面から続けて言うと、金野千代(きんのちよ)という名前ができます。

 

どちらも利用者が少ない無人駅です。

 

 

 

 

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水墨画のような景色は嫌いではありませんが、雨粒で視界が効かないのは残念ですね。

 

まあ、私自身眺めるのは4回目なので、はっきり見えなくてもどうってことなく、むしろ見飽きて、ある種「悟り」の境地に達している感覚です。

 

そういうわけだから、次第に早く豊橋に着いてくれないかと思うようになりました。

(まだ3時間近く乗らなければなりませんが)

 

 

 

 

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平岡駅に停車。

 

長野県天龍村の玄関口で、天龍村は県内で最も南に位置しています。

 

ここから仮に県庁(長野市)まで行くことになったら、1泊2日がかりなんだろうな。

 

長野県の広さを感じます。

 

 

 

 

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中井侍駅を過ぎると、長野県から静岡県に入ります。

 

住所は浜松市天竜区政令指定都市ですが、実態との乖離が激しすぎですね。

 

 

 

 

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ふと、車内上の中吊り広告を見たら、こんなクイズが。

 

読者の皆さんなら分かりますよね?

 

 

 

 

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向市場から城西にかけて、「第6水窪川橋梁」と呼ばれる橋を渡りますが、対岸まで行かず、また元の岸に戻ります。

 

この辺りは天竜川の断層地帯で地盤が脆く、結果、「渡らずの橋」になったそうです。

 

 

 

 

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佐久間駅を出ると、佐久間水力発電所を見ながら天竜川を渡り、中部天竜駅に停車です。

 

 

 

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2両編成の電車1本が留置されています。

 

飯田線は車両に関しては、良いものが揃っており、車椅子対応のスペースやトイレはもちろん、座席も4人がけボックスシートや転換クロスシートを装備して、旅行者には嬉しい設備が整っています。

 

7分停車して、14時17分に出発。

 

発車後、「発車間際に乗り込むのはお止めください」と少し感情的な声で放送が流れてきました。

 

私もホームに出ましたが、発車2分前に乗りましたから、注意されたのは他の乗客でしょう。

 

 

 

 

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反対列車はみんな結構乗っていましたが、当列車は相も変わらずガラガラです。

 

おかげでゆっくりのんびりとくつろげるので、乗客としては恵まれた環境ですが。

 

出馬駅を過ぎると、愛知県に入りました。

 

湯谷温泉駅で温泉客と思われる乗客達が乗ってきました。

 

そのうちの1人の爺さんが、車掌が来た際、「本長篠駅まで」と乗車券をお願いしたので、車掌が端末で発券の準備をしていると、

 

「『道の駅もっくる』に行くにはそこでいいんだよね」と訊ねた。

 

すると、車掌から「いいえ、道の駅は大海駅三河東郷駅になります」と言われ、爺さんの声は少し焦りが混じりながら「どっちの方が近いの?」とさらに訊ねました。

 

「すみません!もうすぐ駅(本長篠駅)に着くので、後でうかがいます」と車掌は言い残して、急いで乗務員室に戻りました。

 

 

 

 

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本長篠駅を出発し、ようやく土地が開けてきた頃、再び車掌がやってきて、爺さんとやり取り。

 

「どっちが近いんですか?」

 

「どちらも同じくらいの距離です。大海駅で少し歩くとバスがあります」

 

「バス停はどこにあるの?」

 

「駅を出て左に曲がって・・・」

 

「どのくらい歩くの?」

 

「〇分ぐらいですね」

 

「いつ来るの?」

 

「それは分かりません」

 

と言ったやり取りが5分ほど続き、ついに大海駅に着くと、件の爺さんは車掌に「ありがとう」と言って降りて行きました。

 

私は、その道の駅がいったいどこにあるのか、じっと外を見ていると、三河東郷駅の方が明らかに近いことが分かり、あれほど車掌にしつこく訊いた爺さんは気の毒にと思いました。

 

 

 

 

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住宅が増えてきたものの、乗客は一向に増える気配がありません。

 

今までなら、本長篠駅新城駅で下校の高校生が乗ってくる傾向だったのですが、この日はそういうことはありませんでした。

 

豊川駅に着くと、さすがにたくさんの乗客が乗ってきて、立っている人の姿も見られるようになりました。

 

牛久保、小坂井と停まり、名鉄名古屋線と合流。

 

異なる会社線が線路を共用するのも珍しいです。

 

途中の下地、船町を通過し、16時16分、ついに豊橋駅に終着です。

 

 

 

 

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6時間以上も乗り続けて、鉄道好きの私でも精神がおかしくなりそうでした(笑)

※あとで1968年(昭和)10月の時刻表を見てみたら、ほぼ同じ時刻で走る列車(1226M)を見つけ、上諏訪9時51分発、豊橋16時44分着とあり、所要時間は6時間53分でした。これは私が乗った列車(544M)の所要時間とほぼ同じであり、つまり時間に関していえば50年前となんら変わっていないことに驚きました。

 

もう5回目は無いと思いますが、神のいたずらでまた乗ることになるかもしれません。

 

しかし、これで終わりではなく、この後東海道本線に乗って島田駅まで行きます。

 

年のせいか、疲れがどっと出てきます。

 

 

 

 

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外はなかなかの土砂降りで、傘を持ってきて良かった。

 

駅近くのビジネスホテルに着いたのは、午後6時過ぎ。

 

部屋で少し休んだ後、再び土砂降りの中歩き、夕食。

 

 

 

 

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外が寒かったので、野菜炒めが載った温かい味噌ラーメンをいただきました。

 

それにしても、こんな土砂降りでは明日の大井川鐡道が気持ちよく乗れるのかどうか心配。

 

それどころか、また土砂崩れとかで運休になったらたまったものではない。

 

天候は悪くてもいいから、運休にだけはならないでくれと、祈りながら眠りにつきました。(続く)