ゆき丸の鉄道日記

鉄道旅行や雑記を綴ります。

気仙沼線

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2日目(6月2日)は、気仙沼駅からスタート。


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駅のすぐそばに、市営のマンションがそびえ立っています。




さて、この日乗る路線は、まず気仙沼線のBRT区間柳津駅まで行き、そこから鉄道線の気仙沼線に乗り継いで小牛田駅へ行きます。

東北本線に乗り換えて岩切駅まで行って、利府行きに乗り換え、利府駅までを往復。

さらに仙台駅へ進んで、仙台市営地下鉄の2つの路線(東西線南北線)を済ませ、長町駅で仙台空港鉄道に直通する列車に乗り換える。

仙田空港駅までを往復した後、名取駅東北本線槻木駅へ行き、第三セクター阿武隈急行線に乗車。

福島駅で福島交通飯坂線に乗り換え、飯坂温泉駅までを往復し、最後は山形新幹線米沢駅にたどり着くという、大変欲張りな行程となっています。

あまりに欲深いから、どこかでひずみが出てきそうで、一番懸念されるのが長町駅での地下鉄南北線から仙台空港鉄道に直通列車への乗り換えで、たったの4分しかありません。

地下駅から2階駅まで果たしてどれぐらいかかるのか未知数ですが、これに成功しないと、仙台空港鉄道はまだ本数があるからいいにしても、その後の槻木駅で、1時間以上待たされることになり、それ以降の旅程も芋づる式に後ろ倒しになっていって、米沢駅近くのホテル到着が1時間以上遅くなりますから、なんとしても乗り換える必要があるのです。



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前日のうちに、当駅から利府駅までを購入しました。

「週末パス」なら前谷地駅から使えて非常に重宝するはずでしたから、苦々しい思いですが、特に第三セクター鉄道にわずかでも経済貢献すると思って、始めたいと思います。



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気仙沼線、7時30分発柳津行きのBRTです。

乗車人数は、私を含め5人もいませんでした。




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しばらくはバス専用道路を走ります。

道路は鉄道の路盤を再利用したものです。


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不動の沢駅から一般道に入ります。

この後、専用道と一般道を交互に通ります。


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新しい橋が見えますが、路盤も築いているあたり、BRT専用道路を造っているのでしょうか。

低地に入ると、道路上に「ここから津波浸水区間に入ります」といった標示板があります。

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のどかな所を走ります。

地形が複雑なこともあり、バスは丘、海岸、内陸部と様々なところを走り、景色は変化に富んでおもしろいのですが、それゆえ、左右やアップダウンが激しいです。

私はバスにあまり酔わない性質なのですが、これはさすがに身体への負担が大きかったです。

もし長距離乗車をする場合には、あらかじめ酔い止めの薬を服用したり、前寄りの席に座ったりすることを薦めます。


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津波で痛めつけられた気仙沼線の橋梁を取り壊したり、新しい路盤や橋梁を造ったりしています。

こういう無残な姿がいたる所で見られ、これではいくら儲かっているJR東日本といえども、鉄道での復旧は非常に難しいなと痛感しました。

仮に莫大な費用等を投じて復旧させたとしても、毎年赤字を垂れ流すのは必至ですから、相対的に安価なBRTへ流れるのも分かります。

それでも少しでも便利にしようと専用道路を造り、日夜、復興工事に携わっている人々の姿を見ると、宮沢賢治の「雨ニモマケズ 風ニモマケズ・・・」に通ずるしたたかさが伝わってきます。

三陸津波と切っても切り離せない地域ですから、生活や精神性に結び付くのでしょう。



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歌津駅の旧ホームです。

新しい駅舎もあったらしいのですが、津波で流失し、今ではBRTのバス停が設置されているのみです。


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ベイサイドアリーナ駅周辺の様子です。

病院や総合体育館のそばに設置され、南三陸町役場もここが最寄りです。

どの建物もピカピカに新しいです。


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志津川駅周辺には、漁港が広がっています。


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こうして景色を眺めていると、三陸津波など自然災害に厳しい地域である一方、穏やかなときはこれほど美しい光景を見せてくれるのかと実感します。



内陸部に入り、9時22分、柳津駅に到着。


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中に入ると、気仙沼線の写真がたくさん飾られています。

及川俊弘『「がんばれ気仙沼線」 -わがふるさと気仙沼線第二期を迎えて』という資料が置いてあり、自由に持っていっていいそうなので、駅の人に断って、1部いただきました。

これを読むと、沿線の人々がいかに気仙沼線の開通を言葉につくせないほど喜んでいたか、そして2011年の震災で鉄路がバラバラにされても、つらい現実としっかり向き合い、未来へ向けて歩もうとしているのかが伝わってきます。

宮脇俊三『時刻表2万キロ』(角川文庫)を引きながら、開業当時の様子が写真とともに具体的に記されていて、営業係数だけでは測れない、気仙沼線の存在価値がにじみ出ています。

そして、津波によって押し流された保存用の蒸気機関車や、引き裂かされた鉄路、流失した駅舎やホームなど生々しい様子の写真と同時に、復旧からのBRT走行の様子なども載せられて、先ほど見た工事に携わった人々と重ね合わせると、決して忘れてはならない姿だなと痛感しました。



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跨線橋を上がり、引き続き気仙沼線の鉄道区間に乗車します。

内陸部はダメージが少なかったので、柳津駅から前谷地駅までの17.5kmは鉄道として残ったのです。

9時39分発、小牛田行きはディーゼル車の2両編成で、ポツポツと乗客はいました。


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ほとんどがこの水田地帯を走り抜けます。

ササニシキ、ひとめぼれ、コシヒカリの名産地ですね。

前谷地駅手前で石巻線と合流し、小牛田駅まで石巻線に直通します。

10時15分、終点の小牛田駅に到着し、少し駅前を歩きまわります。(続く)


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